加西市フィールドワーク

2022.10.15~16


ハードルを越えた先に

友重 夢芽

 

今回は「劇場型周遊観光事業」の体験兼、戦争に関して学ぶ「平和観光」をもとに兵庫県加西市に向かった。私は元々母親と観に行った劇場版「永遠の0」で特攻隊・戦争というものに興味を持ち、自分で大学受験の二次試験終わりに知覧平和特攻記念館に行ったりYouTubeで配信されている戦争の映像を見たりとそれらに関する関心を高めていた。そうして迎えた今回の加西フィールドワークは心躍るものがあった。このレポートでは私たちが体験したプロジェクトと得た知識に関して主に記述していく。

 

 

●新しい観光の形とは

 

 加西市と言って何を思い浮かべるだろうか。私は特攻隊・戦争に関心を持っていたものの、沖縄や鹿児島などしか知らず今回のYDHの活動で初めて上記のものの歴史で加西市が有名であるということを知った。YDHとしては以前も加西市に訪れたことがあるようだったが、紹介というか観光の学び方が今年度は異なるということであった。これまでに私が体験したことない在り方で観光するというのは何とも私に期待感が湧いていたのである。そして、私たちが体験した「劇場型周遊観光事業」というのは、私たちが戦時中にあたかもタイムスリップしたかのように当時の人々の一日の様子を劇場形式で鑑賞しながら観光するというシステムであり、普段は資料や映像作品なんかでしか見かけることのない衣装を着た役者さんたちの演技の下、企画は進行していった。

 

 

●体験・客観視することによって得られる学びと気づき

 

 この劇の一部始終を全部語ってしまうのはネタバレになってしまうので控えるが、結論から言うと何を学ぶかによってこの劇の在り方が変わると思ったのが印象である。劇中では主に主人公を起点とした当時の人々の様子が題材となったわけだが、見る分には面白くむしろ戦時中のごちそうともされた食事を体験できたり、過去に使われていた防空壕に実際に入ったりと日常生活を送っているだけでは経験できないようなことがたくさんできてよかった。だが、問題は戦争に関する知識があまり入ってこないことである。言ってしまえば一日の様子を描いただけなので、戦争に赴くことのつらさや日常風景は共有できても当時使われた機体の名前や犠牲になった人数、散っていった命の尊さのようなものがイメージできたり、わからなかったりで、それらはやはり資料を拝見すること・人から説明を聞くことによってから得られる情報・知識なのだとあらためて気づかされた。ここでは決してプログラム自体を批判したのではなく、新しい観光の在り方を考えるにあたってやはり目的と手段は限られてしまうのだろうかという懸念点が重要である。私が挙げた機体の名前云々はガイドさんの説明を聞く方が適していると思うのだが、どうも劇場型観光とマッチするようには思えない。紫電が466機、紫電改が46機空中戦に向けて作られたことや、この技術が現在はどのように活用されているのか、今どこに本物が日本には1機あってアメリカには3機あること、爆弾庫の役割等、物語中に役者の口から語るには少々不自然な点が多い。そのため、ガイドさんがナレーター的な役割も担うのはどうなのかと考えたが、ガイドさんにも意見や立場の尊重があるため容易に言えないだろう。

 

 

●今後の課題と学びの蓄積

 

 小学校や中学校で平和学習が基本的に行われる今、戦争や特攻隊について学ぶことができる加西市のような場はますます需要が高まることが見込まれる。実際、加西市には100校以上が修学旅行先として訪れておりこの事実は、戦後からどんどん時間がたつにつれて子供らが自身から関心を持たない限り忘れ去られてしまうかもしれない過去の記憶の継承する役目として、加西市のような地域が必要だからではないかと考える。

そして、今回のフィールドワークから私は新たな観光の形を考え実行することは難しいこと、そして適材適所ではないがそれらを考えるうえで、何を伝えたいかどの層に向けたものなのか等のペルソナをより明確にしないといけないことを学ぶことができた。私も将来観光業で企画・運営・広報のいずれかに就きたいと考えていたが、加西市での経験からそう容易いことではなく、多くの人々が関わりあっていてかつその人々にもやり方があるからコントロールするのは大変だということを思い知らされた。ただ、非日常空間といった意味で今回の劇場型観光は良かったと考えるし、私たち大学生がモニターだっただけであって感想は世代によって異なるため本当に参考程度であるなとも思った。いろんな世代に何回もモニターをしてもらう、これも将来仕事で活かしたいポイントであり、本当に戦争だけでなく観光の在り方を勉強させていただいたいい機会であったので、今後も今回学んだことを念頭において様々な物事に応用したいと思う。