加西市フィールドワーク

2022.10.15~16


何事も復習が肝心? ~新型と従来型の再考と融合~

岡島 智宏

 

今回の加西市の劇場型周遊観光で感じたことは、演劇に客にとっての付加価値が必要であるということである。その付加価値とは、演劇の「舞台裏」を見られることである。劇場型周遊観光を加西市でのより深い観光への入口とし、その「深い観光」は客のその後に委ねるのではなく、劇場型周遊観光にその「深い観光」も組み込むのだ。

 

 

●なぜ、付加価値が必要か


なぜ、付加価値が必要か。それは、演劇単体では難しいと感じるからである。劇場型周遊観光に来る新客層は、平和学習を主目的とし、その資料(手段)として演劇を見る客より、平和学習が目的であろうとなかろうと、ある程度は演劇をお目当てにする客が多いだろう。しかし、演劇だけで、彼らを満足させることは難しいと感じた。なぜなら、現在の加西市を舞台にして、しかし舞台設定は1945年という矛盾があり、1945年の世界観に没入しようにも、どうしても所々で現在の要素が見えてしまうからだ。精巧な舞台セットや音楽を使った演劇や、映像化された演劇(ドラマや映画)に見慣れた既存の価値観では、世界観にリアリティがないという点で満足しにくいと考える。しかし、この「劇場型周遊観光」の価値は、普段の舞台演劇や映像作品の既存の価値観とは違うものであり、それは実際の舞台を生で巡りながら楽しみ、学べることではないだろうか。現状ではこの価値を客が感じにくいため、もっとこの価値を体験できるようにする必要があると考える。

 

 

●演劇 in 1945と復習 in the present

 

冒頭で演劇の「舞台裏」を見られることを客にとっての付加価値としたが、これは言い換えれば演劇の「復習」であり、また従来型の加西の平和学習や歴史観光でもある。具体的には、観劇の後で、劇と同じルートをもう一度、各地の歴史や特徴をじっくり見ながら周遊する。そして、ここでのナビゲーターは、豊富な知識を分かりやすく伝えてくれる、観光ガイドの方々の出番だ。客からすれば演劇を見て終わりでなく、ストーリーの背景にある土地の歴史や文化を徹底的に見て、演劇をより深く理解できるという演劇としての付加価値があり、また平和や歴史に興味がある層にも響く。主催者側にとっても、充実のコンテンツで客の満足度を高めることができ、かつ客の滞在時間や周遊する場所が増すメリットがある。

ここで、「復習」は一見従来型の観光に見えるが、演劇の舞台=劇場をもう一度周遊するという意味ではこれも「劇場型周遊観光」であり、2日間のアクティビティを合わせて劇場型周遊観光が完結する。例えば、1日目は1945年の加西の世界観に集中・没入する演劇を観て、2日目は現在の加西に戻って「復習」をするという劇場設定が考えられる。そのためには、観劇と復習の徹底的な棲み分けが必要だ。今回は、演劇の中に中途半端に「現在」の学びの要素(ガイドの語り、防空壕見学など)を入れたために演劇の世界観に没入しづらく、また各地を劇とともにすぐ去るため、観光としては物足りなく感じていた。「現在」の学びの要素は「復習」に移し、「復習」の時間にじっくり各地を見学し、ガイドの語りを聞けるプランに変えれば、観光・学びとしても充実したものにできると考える。万物に通じて「復習」が肝心なのだ。

 

 

●新型と従来型の融合

 

新型の「劇場型周遊観光」は、資料館や遺構の見学、ガイドの語りを聞きながらの周遊といった従来型の観光では集めにくい客層を集めるための観光という側面もある。従来型では集客できない客層を集客するための新型の付加価値が従来型というのは一見おかしな話に見えるしれないが、そうではない。なぜなら、新型、すなわち演劇によって新客層を集客でき、「演劇の舞台裏を見る」という形で従来型、すなわち「復習」に新客層をはじめて誘導できるからである。また、「復習」という付加価値によって、演劇としての価値を上げることができ、演劇の集客力が向上する。新型(演劇)と従来型(復習)が互いの価値を高め合って、私が提案する「劇場型周遊観光」は成立する。

さらに言えば、私にとって演劇の必要な理由はもう一つある。それは、鶉野と北条市街地のつながりを示し、個人のストーリーを伝える役割は演劇の強みだからである。演劇は、戦時中の個人・民衆の主観性も含む物語を伝えるのに適し、従来型の観光は鶉野や北条の街、飛行機や戦争の客観的・歴史的事実を伝えるのに適する。片方だけで十分伝えるのは難しく、両者を組み合わせることで、平和学習としてのコンテンツ力を強化できるのである。演劇のポテンシャルは高い。

ここまで、私なりに劇場型周遊観光を再考した。この劇場型周遊観光が狼煙を上げるのは今である。今、これが新たな平和観光のスタンダードになる可能性を強く感じている。