2021.12.11~12
加西市フィールドワーク

 

=鶉野飛行場跡を観光資源に=

 

第2次世界大戦末期。戦況が厳しくなった昭和18年にパイロット養成の場として急遽建設された鶉野飛行場。この地では「零戦」と並んで有名な航空機「紫電」や「紫電改」の最終組立が行われました。当時のままの姿が残る全長1200m×幅60mの滑走路とその周辺には歴史遺産が点在しており、姫路海軍航空隊で編成された神風特別攻撃隊「白鷺隊」の悲史が語り継がれています。鶉野飛行場から飛び立った若き63名の人生はどのようなもにであったか?YDHメンバーがフィールドワークを行い、現地の方々と意見交換を行いました。

 


水谷 恭輔

神戸学院大学

 

=気球の町加西市=

2021 年 12 月 11 日(土)と 12 月 12 日(日)の 2 日間、私は兵庫県加西市を訪問した。そ こで学んだことや体験したこと、そして 2 日間を通じての感想を記していく。


〈1 日目〉

初日の昼ごろ。JR 加古川駅に集まった後、JR 加古川線で粟生駅まで向かいその後北條鉄道に乗り換え法華口駅まで電車に乗った。普段乗りなれないワンマン電車のため支払いの 手続き方法に戸惑ったりもしたが、無事に法華口駅を降りることに成功した。

私たちはまず最初に姫路海軍航空隊鶉野飛行場跡に向かった。姫路海軍航空隊鶉野飛行 場跡は第二次世界大戦中の 1943 年に建設された飛行場であり、ここでは戦闘機『紫電』や 『紫電改』などといった戦闘機の組み立てや飛行機の操縦訓練をおこなっており、現在は加 西市が土地を管理し、一部を神戸大学大学院農学研究科が使用し作物などを育てている。私 は小学校の頃に広島の原爆ドームへ行って以来、一度もこういった場所を訪れたことがな かったため今までの観光と違いとても緊張した。そこでこの初日では特に印象に残った2 つの防空壕に関するエピソードを述べていく。

 

1つ目は衛兵詰所前防空壕跡だ。まず防空壕の特徴として基本的には凹凸の形をしてい る。形が凹凸なのには理由があり爆弾投下による爆風を避けるためだとされている。今回特 別に防空壕の中を見学したが、通路が狭く 170 センチ後半ある私の身長では通るのにも精 いっぱいだった。この防空壕は当時 50 人~100 人ほどの住民がこの中に入り空襲から身を 守っていた。実際に加西市は 1945 年に計 3 回の空襲被害に遭っており、住民は空襲が止む まで防空壕の中で隠れていた。

 

衛兵詰所前防空壕跡を見学した後は巨大防空壕跡に入り、『巨大防空壕内 270 度シアター 望空郷』を鑑賞した。内容は特攻部隊である白鷺(はくろ)隊に所属していた隊員が手紙を 朗読するといった動画だ。20 分間の映像を見終え、私が今抱えている悩みは特攻隊員と比 べて、どれほどちっぽけな悩みなのだと思った。彼らに明日はなくお国のためそして日本国 に勝利をもたらすために自分の命を犠牲にして飛行場を飛び去って行った。それに比べて 私は人間関係や将来などの悩みを考える時間があり、考え方によってはポジティブに考え ることもできる。今回学んだことを糧に今後も前向きに生きていきたいと思った。


〈2 日目〉

2日目の午前は西国街道である北條の宿(しゅく)を回った。北條の宿は兵庫県の歴史的景観形成地区に指定されている町で、1000 年以上前に建立された住吉神社や酒見寺などを はじめ、貴重な文化財が多く存在する地域である。フィールドワークしている中で、案内の 方が、昔この地域は住民が多く住んでいたそうで、当時の賑わいを想像しながら町を見てほ しいというアドバイスをいただいた。アドバイス通り途中から昔の街の様子を想像しなが ら歩き回ったが、それまで見えてこなかったものが見えた気がして、これこそが観光なのか なと思った。ただ見て回り、見たものに対してリアクションをするだけでなく、この風景が成立するまでの過程を見る大切さをここでは知った。 午後は加西名物の鶉野飛行場弁当を食べた。このお弁当は戦時中、鶉野飛行場へと集まった若者をもてなすために作られたもので野菜の天ぷらや鶏肉のすき焼きなどといったおか ずが入っていた。いただきますという声を合図に、これまでの活動を振り返りながらご飯を 食べ進めていった。コロナウイルスが流行していなければ味の感想など色々なことを話し たかったが、黙食というルールを守らなければいけないのとこの弁当を食べた兵隊の気持 ちを回想しながら食べた。

 

〈最後に〉

私たち若い世代を始め、70 歳以下の世代は戦争を直接経験していない人が多数存在し、平 和であることが当たり前の世の中になった。戦争を体験した人が年々減少している中、この 事実を知った私たちが今後どのようにして伝えていくかを考えるきっかけにもなった。現 在、加西市は地域活性のために気球を使ったイベントを開催している。戦争の象徴だった戦 闘機と平和を象徴する気球。気球の飛ぶ町から戦闘機の飛ぶ町に変えないためにも、戦争を 経験していない世代が過去の歴史を学びどう思い伝えていくかが戦争に対する抑止力につ ながるのではないかと考える。

 


平川 千夏

神戸女学院大学

 

12月11日から12日にかけて加西市を訪れ、フィールドワークを行いました。今回のフィールドワークでは、戦跡巡りやまち歩きを行いました。

 

1日目は、ローカル線である北条鉄道に乗って法華口駅に行き、鶉野飛行場跡地周辺の戦争遺跡を実際に歩いて巡った後、「ぼたん鍋」を食べました。

最初の目的地である「法華口駅」は、どこか懐かしい雰囲気が漂う駅でした。駅名が書かれた看板をよく見ると上書きした跡があり、そこから歴史を感じることができます。駅の風景がアニメ「サザエさん」のオープニングにも使用されたことがあるそうです。

法華口駅に到着した後は、爆弾庫跡、防空壕跡、機銃座(攻撃してくる飛行機を迎え撃つためのもの)跡、衛兵詰所跡、飛行場滑走路跡、平和記念碑を巡り、戦闘機の実物大模型を見ました。今まで自分が経験してきた「平和学習」は、戦時中の「目を背けたくなるほどの痛ましい」場面を「切り取った」記録を見るというものがほとんどでした。「平和学習」で原爆資料館や戦争博物館を訪れた際に、空襲によって大けがをした人の写真や原子爆弾が落とされる映像を見た瞬間の衝撃は今でも忘れることができません。戦争のネガティブな面を前面に押し出して戦争のことを忘れないようにする方法も正しいと思いますが、ネガティブな面だけを伝えなくても「平和」について学ぶことができるということを、今回のフィールドワークで感じました。また今回の戦跡巡りでは、それぞれの戦跡が独立しておらずつながっていたため、「つながり」を意識して平和について学ぶことができたと思います。

そして私が1日目の中で最も印象深かったのは、防空壕の中のミニシアターで短い映像作品を見たことです。映像の中には、特攻隊の人たちが自分の家族に向けて書いた手紙を読む場面がありました。大学生である私と変わらない、あるいは、年下の方たちが、命を捨てなければならない状況にあったという事実に、これから死ぬ可能性が高いにも関わらず家族に対する感謝や心配の手紙を宛てているということに、心がえぐられる思いでした。

 

2日目は、北条町駅で北条鉄道の話を聞いて「キハ40」を見たのち、まち歩きを行いました。

北条町駅では、北条鉄道の主な利用目的は通勤・通学だが、それだけでは利益にならないという話をお聞きしました。そして、収益を上げるために、電車の貸し切りプランの企画や、朱印帳の鉄道版である「鉄印帳」の販売を行い、鉄道ファンたちに人気のある「キハ40」の走行を考えているという話を伺いました。

まち歩きでは、趣きのあるまちの屋敷を巡りながら、神社や寺を訪れ、五百羅漢を見ました。まちに昔の状態がそのまま残っている場所もあるため、1日目の戦争遺跡との繋がりがある部分も感じられました。まち歩きをする際は、地元の方にガイドしていただき、途中で見られる屋敷の装飾の説明や神社の説明などもしていただきました。ところどころで、中学生や高校生の頃に授業で習った人物や出来事の話が出てきたため、自分の知識が「実物」に結びつくという経験ができました。

2日目で最も印象に残っているのは、五百羅漢を見る際に小学生にガイドをしてもらったことです。五百羅漢が当時の人々にとってどのような存在であったかを説明してもらったり、五百羅漢に関するクイズを出してもらいました。

 



萬谷 嘉芳

関西学院大学

 

●はじめに

 12/11から12/12にかけて、加西市を訪問し、1泊2日のフィールドワークを行った。今回のフィールドワークでは、加西市に残る防空壕や滑走路のある鶉野飛行場跡地を巡るということで、戦跡を通して平和について考えるという側面が強いのではないかと考えていた。しかし、実際には戦跡だけでなく、ぼたん鍋や北条町周辺の町歩きなどを通して加西市の魅力に触れ、地方における観光や、戦争に関連したこと以外も含めた「平和観光」について考えることができたように思う。本レポートでは、今回のフィールドワークで体験したことを踏まえ、考えたことや感じたことについて述べる。

 

●平和観光について

 今回のフィールドワークを通して、「共感」が平和観光において重要なのではないかと考えた。私は小中学生の時に広島と沖縄を訪れ、平和について学ぶ機会があった。どちらの訪問でも資料館や防空壕などの見学には行ったが、戦争は痛ましく再び起こってはならないということは自身の中に残っていても、他のことはあまり残らず、それだけで完結してしまっていたように思う。また、結局は遠い昔のことであり、他人事のように感じていたところもあったと思う。

しかし、今回は1日目の鶉野飛行場跡地や、2日目の北条の町歩き、鶉野飛行場弁当など、様々な体験を通して、当時の練習生らと自分を重ねながら、戦争や平和について考えることができた。まず、鶉野飛行場跡地では、巨大防空壕跡にて特攻隊の実際の遺書に基づいた映像を鑑賞し、当時のままの戦跡を歩いて巡ることで、練習生らは何を思って飛び立ったのだろうか、もしも自分がその立場であればどうなっていただろうか、などと考えた。また、2日目には練習生にとっては、つかの間の休息を取れる場所であった北条町を歩き、彼らが食べていたかもしれない鶏すき焼きの弁当を食べ、彼らも私達と同じような感情を抱いていたかもしれないと考えた。このように旅全体を通して、練習生らに思いを馳せることで、特攻隊について学んだことも、1つの旅の記憶として思い出されるものになるのではないかと思う。更には、再び訪れてみようというきっかけにもなり得るかもしれないと感じた。また、戦争はあってはならない、ということで完結してしまわないためにも、共感することを通じ、練習生らが生きたかった明日を生きることのできる私達の「現代の平和」について考えていくことが大切なのではないかと感じた。

 

●加西市における観光

 私は今回フィールドワークに参加するにあたって、戦跡についての話は聞いていたものの、その他についてはあまり知らないまま、加西市を訪れた。実際に訪れてみると、加西市ならではの歴史や受け継がれてきた文化・伝統があり、様々な観光資源があることが分かった。中でも印象に残ったことを2つ取り上げる。

 第一に、多様な時代の街並みが残っていることである。2日目に実際に横尾街道や酒見寺、住吉神社周辺を歩いて回ったが、様々な歴史や背景を持つ文化財や、かつて栄えていた頃を思い起こさせるような看板が沢山残っており、町全体としてノスタルジーを感じさせられた。五百羅漢についても、いつ誰が何のために作ったのかは分からないが、多くの先人らがここで思いを巡らせていたと思うと、誰もが趣深く感じるのではないだろうかと考える。

第二に、今回巡った戦跡や町並みについて分かり易く、詳細な説明をしてくださったガイドの役割である。今回のフィールドワークでは、鶉野飛行場跡、北条町、五百羅漢のそれぞれでガイドの説明を受けた。ガイドの方々は、資料だけでは把握しきれない膨大な情報量を持っており、歴史や背景など興味深い話を聞くことができた。加えて、質問にも答えてくださり、興味を持ってその場所について知ろうと思うことができた。このように、主体的に知りたいと思える場所が、再び訪れたくなる場所となり、関係人口の創出にも繋がるのではないかと考えた。そのため、音声ガイドやスマホのガイドとは異なり、双方的なコミュニケーションが取れる観光ガイドの重要性を感じた。

 

●最後に

 今回のフィールドワークを通して、どうやって戦争を伝えていくか、平和観光はどうあるべきなのかについて考えることができたと同時に、加西市の魅力や様々な観光資源を知り、加西市は観光地としての可能性を秘めた場所であることを感じた。一方で、今回の学びを繋げていくにあたって考えるべきこととして、どのように加西市に人々を呼び込むかが挙げられる。平和観光というと人々を惹きつけがたいかもしれないが、安易に町並みの「映え」を売り込んでしまうと、戦争の歴史や地域の文化・伝統が蔑ろにされてしまうのではないかと考える。この課題については今後も考えていきたい。

 


山口 美結

神戸女学院大学

 

●はじめに

12月11日、12日の二日間加西市を訪れ、フィールドワークを行いました。フィールドワークに行を行うまで加西市に訪れたことがなかったのですが、私の故郷である鹿児島県の知覧町と似た点があるということから、とても興味をもって学ぶことができました。今回私は「戦争、平和」、「関係人口」という2つの柱を立ててフィールドワークを行いました。一日目はうずらの遺産訪問(防空壕シアター、うずらの飛行場など)、二日目は北条町周辺探索をメインに書き記していきたいと思います。

 

●一日目(うずらの遺産訪問)

 はじめに姫路海軍航空隊の最寄り駅として栄えていた、北条鉄道の法華口(ほっけぐち)駅から徒歩で爆弾庫に向かいました。この爆弾庫に避難すれば、外に爆弾が落ちても大丈夫な造りになっているそうです。入ってみるとそこまで広くはなく、ここで多くの人と時間を共にするのは精神的にきついと感じました。また、この時のガイドさんがおっしゃっていた「1回平和学習で来た学校は絶対毎年訪れるようになる」という言葉を聞き地元のことを思い出しました。はじめに触れた私の故郷の知覧町ですが、毎年多くの学校が修学旅行の一環として知覧特攻平和会館に訪れています。普段暮らしていて戦争を想像できないくらいの平和な環境で暮らしている私たちが戦争の悲惨さを少しでも感じられる場所は非常に限られています。だからこそ、学ぼう、知ろうという気持ちを持ち、訪れることで私たちのような戦争を全く経験していない若者が戦争や平和について考えるきっかけになると思います。学生に限らず、年代問わず訪れる方が増え、関係人口が増加するといいなと思いました。

 また、防空壕の中がシアターになっている、巨大防空壕シアターに向かいました。ここではヘルメットをかぶり、不思議と普通のシアターよりもリアルに見える映像を見ました。特攻隊が実際に家族に残した手紙を読むのですが、とても考えさせられました。メンバー全員終わった後言葉が出ず、静まり返ったのがとても記憶に残っています。手紙を目で見たことはあったものの、映像として特攻隊の格好をした自分と変わらないくらいの年齢の男性が読み上げるのは心にくるものがありました。防空壕でみたからこそ、そのように感じたのだと思います。戦争を「過去のもの」と考えている人は特に忘れられない体験になると思います。

 オレンジ色の夕焼けで空が染まり、肌寒くなり始めた頃、うずらの飛行場跡に着きました。実際私たちが歩いたところは練習の場所だったのですが、お国のために命をささげると誓った若者らがこの道を歩いたと思いながら歩くと不思議と心臓がバクバクしました。地固めのために子供たちが転圧用ローラーを転がしていたと聞き、どのような気持ちで転がしたのかと心が苦しくなりました。当時のローラーが道の隅においてあり、遠くからでしたが見ることができました。当時のものが町中にある事で戦争が風化されることが少なくなるのではないかと思いました。

 

●二日目(北条町周辺探索)

 二日目は一日目と少し異なり、町中の探索を行いました。散策前に北条鉄道に導入される予定のキハ40を公になる前に特別に見せていただけることになりました。当日の夜中1時半に加西に着き、たまたま見れることになったのでとても光栄な機会をいただけてうれしかったです。JR東日本で去年引退したこのディーゼル車両ですが、なんといっても「色」が特有らしく、関西で走っている電車はほとんどがオレンジ色であるためこの色のまま走らせるとこで北条鉄道にしか出せない魅力があるなと思いました。

また、2日目で特に印象に残っているのが小学生の方々に教えていただいた五百羅漢(ごひゃくらかん)についてです。子供だからこそ、かみ砕いて説明してくださるので歴史について知識がなくてもすっと入ってきました。クイズを出しながらの説明で聞いていてとてもと楽しく学ぶことができました。自分よりも都市板の方から学ぶことが少ないため、とても新鮮な学び方でした。じっくりと観察していると本を持っていたり扇子をもっていたりと今まであまり関心を持ってみていなかったためこんなにも細かに作られていることにも素晴らしいなと思いました。昔と今の街並みを比較することでいかに私たちが平和慣れしているのかを実感することができました。

 

●二日間を通して

 「平和学習だけ」でもなく「町散策」だけでもない、2日間を通して加西市の歴史を知ることで北条鉄道からわかる事、うずらの飛行場からわかること、五百羅漢からわかることなど、多方面から見れたことで魅力を知れたり歴史の深さを学べたりと2日間だったからこそこの学びになったのだと改めて感じました。戦争についても歴史という視点から見るのと観光という視点から見るのとではとらえ方が全く異なるため、今回のスケジュールはどの年代の方々にもおすすめだと思います。

 

●最後に

ガイドの方が何度かおっしゃっていた言葉で、「戦争の悲惨さ、平和の大切さは64人の尊い命の上に私たちの生活がある」という言葉が胸の中に刺さっています。今私たちがこのように幸せに暮らしていけているのを当たり前に感じてはいけないことであり、日本というくくりではなく世界というくくりで見ると戦争が日常の国も未だ数多く存在するのが事実です。これから戦争を全く経験していない人だらけの時代になっていく中で「どのように後世に歴史を伝えていくのか」が今後の課題の一つであるため、過去のものとしてとらえるのではなく未来に伝えていく方法を考えなければいけません。

二日間ではありましたが、歴史、特に戦争という点においての考え方がガラッと変わった気がします。様々な視点から物事を考えるとても大切な機会となりました。今回お世話になった加西市市役所の職員の皆様、ガイドのお二方、加西市の皆様ありがとうございました。

 



石原琴音

兵庫県立大学

 

真珠湾攻撃からおよそ80年後の12月11日、私は特攻隊の訓練生たちが集められたという法華口駅に降り立った。太平洋戦争中の昭和18年、鶉野飛行場が開設された。ここで訓練を積んだ練習生が全国の航空隊へ行き、なかには特攻隊として命を落とした訓練生もいたという。そんな悲しい歴史の残る街が、兵庫県にあることを知っている人は少ないのではないだろうか。私もこの活動で訪れるまで全く知らなかった。そんな悲しい歴史と、それよりもっと昔の歴史名所の残る加西市で12月11日から12月12日のフィールドワークに参加して、学んだことや思ったことを書いていきたいと思う。

 

戦争遺産というと多くの人が、広島、長崎、鹿児島を思い浮かべるのではないだろうか。しかし、大都市の多く存在する近畿圏、加西市にも戦争にかかわる施設が残っている。広島、長崎などは戦後、都市化や再開発が進み、一部を除き、戦争当時の様子が町全体に残っているわけではない。一方、加西市はまだまだ都市化が進んでいない部分もあるのか、戦争中の面影を町全体で残している。非常に貴重な場所である。法華口は姫路海軍航空隊の基地があった場所だ。同時に、戦闘機「紫電改」、「紫電」の組み立て工場が作られ、まだ幼い少年たちが働いていたという。法華口から基地までの道は、なにもないが、随所に人が手を入れた跡を感じる。もう周りに何もないのに、何かがあったことをはっきりと感じさせる。今からおよそ80年前ときっと大きく変わらないその景色のなかに、突然防空壕が現れた。そこが、姫路海航空隊の基地だった。防空壕は手つかずのまま残っている。昼間なのに、中は驚くほど真っ暗で明かりがないと進めない。天井も低く狭いように見えるのに、実は複雑に入り組んでいて、長い。この場所は、戦時中、何度も空襲に遭ったという。きっとこの中に何十人もの人が潜んでいただろうと想像するが、現代で生きる私の想像力には限界があって、その様子をはっきり想像することができなかった。全く同じなのは、地下の湿った鼻につく匂いただそれだけだと思う。スマホの明かりをもって中に入る時点で、もう防空壕はその当時と全く違うものだったのだと思う。町全体が戦争当時の姿を残しているのにも関わらず、である。

次の日、訓練生が送り出される日に食べたという鶏のすき焼き弁当を食べた。一口食べたとき、いろんな感情が沸き立った。それは、どれほど遺跡を訪れても、想像できなかった戦争時代に生きた人の思い。訓練生が食べたものと変わらないであろう、添加物を一切使わない、当時にもあった調味料で作られた味。場所を訪れても、訓練生と共通して体験できるものはない。でも、その味だけは当時と同じなのだと思うと、これまで見た景色、ガイドの方のお話が一体となって一気に身近なものに感じた。当時と変わらない景色を見て、話しを聞き、当時の味を食べる。この3ステップで戦争をより、感じることができ、歴史を残すことにつながるのだと実感した。

また、加西には戦争の歴史以外にも、歴史的な街並みが残る。そこは、訓練生たちが休日に訪れたという北条の町だ。北条は、加西市の中心的な場所である。古い町並みが残っているだけではなく、無電柱化が進んでいて、より当時に近い様子を感じることができた。歴史的な住宅街を進んでいくと、なんだかかなり古そうな場所に行き着く。五百羅漢だ。ここでは、なんと、小学生のガイドさんにガイドしてもらった。いつだれが作ったのか不明のすべて表情の異なる石仏について、クイズを出しながら小学生から説明を受けた。大人のガイドから説明を受けるのと、小学生から説明を受けるのでは、全く感じ方が違った。まず、しっかり聞かねばと強く思った。そして、小学生に教えてもらうと意外にも頭に残り、すんなり受け取ることができることだ。また、小学生がガイドをするという制度も素晴らしいと思った。なぜなら、ガイドを通じて、彼らはより地元を知ることができるだろうし、彼らが家族や、将来自分の子どもに伝えて残すことができるからだ。未来を背負う子どもがガイドをして大人を先導するという試みは非常に面白く、ぜひピックアップするべきだと思った。

 

加西市少しアクセスが悪いと感じるかもしれないが、実は高速バスも出ていて、直接行くのは難しくない。姫路までも路線バスでつながっている。また、ノスタルジアを感じられる北条鉄道を使う方法もある。コロナで移動が厳しい中でも、関西からなら訪れやすい場所だと思う。まさに加西観光は、平和について学び、それを共有するピースツーリズムである。この体験を通じて私も、お弁当の味、そして目に焼き付けた景色から得たものを、共有していきたいと思った。そして多くの人に、もっと体験してもらいたいと思った。

 


岡島智宏

神戸大学

 

12月11日、12日の2日間にわたり、加西市を訪ね、平和とピース・ツーリズムについて学び、考えた。ここでは、1日目の鶉野での体験、2日目の五百羅漢での体験を振り返りながら、2日間の学びと考えたことをまとめたい。

 

●1日目

北条鉄道の法華口駅をスタートし、ガイドの方の案内を聞きながら、鶉野飛行場跡地に向かって歩いていくと、道中に現存する爆弾庫跡や防空壕跡が見えてきた。一部のものは、鬱蒼とした森の中で、土に埋まる形で作られていた。これらが周囲から、特に上空から目立たない形で作られたことが、実物を実地で見ることでわかった。ここが過去に戦争の恐怖にさらされた地であることが見えてくる。実際に中に入ってみると、やはり暗く、狭い空間だった。当時の人がこの中に逃げ込み、外に出るまで過ごした時間の恐怖は想像できないほど強いものだったのかなと思った。

そして、巨大防空壕で見た加西市製作の映像は、特に印象に残った。そこには、特攻隊の若者たちが家族に残した遺書のようなものが読み上げられた。今の自分に近い年齢の当時の若者が、強い無念と悲しみの中、自らの死に覚悟を決め任務にあたったことに心を痛めた。思い返せば、これまでにテレビ番組や新聞記事、学校などでこのエピソードに触れても、この時ほど心を痛める経験はなかった。今回は、実際に彼らがいた鶉野の地に自らも立ち、実際に戦争遺跡に入ったことで、当時の光景や人々の思いを、鶉野を実際に目で見て、肌で感じながらイメージできた。初めて経験する、リアリティが伴った状況だからこそ、心を動かされたのだと感じる。

鶉野飛行場滑走路跡を経て、「紫電改」が収められた備蓄倉庫へと行き、慰霊碑に黙とうを捧げた。周りにはのどかな田園風景が広がり、穏やかな音楽が響き、きれいな夕焼けを皆で眺めた。ここで過去に悲しい出来事があったとは思えない、穏やかな光景であり、今の鶉野の平和を感じた。鶉野の地は、戦時中の様子や人の心の痛みだけでなく、それらを経て今存在する「平和」の素晴らしさを心に伝えてくれた。

 

●2日目

 2日目は加西市の中心部、北条の街を歩いた。その中で、江戸時代に造立されて以来現在まで残る石仏群、五百羅漢を訪ねた。厳かな雰囲気の境内に立つ石仏たちはどの顔も穏やかな顔をしており、心の安寧や平和を体現し、人々にもたらす存在に見えた。実際に、私も数々の石仏に囲まれる中で、心の汚れを忘れ、心が落ち着き、素直になる感じがした。そして、安寧な心で過ごすことの大切さを感じた。この穏やかな気持ちが「心の平和」なら、一人一人が自身の心の平和を時に問い直し、保ち続ければ、それが人と人との間の平和、国あるいは世界の平和につながるような気がした。

 

●まとめ

これまでは平和学習を経験する中で、戦争の悲劇の事実を知る機会は充実していたが、心の痛みを伴うほどに、リアリティを伴って戦争を考えた経験はなく、また過去を踏まえて今、何をすべきか十分に考えられなかった。今回のフィールドワークは、「リアリティ」と「今がどうなのか?」という2点を満たしていた。この2点によって、戦争や平和について、より深い見方で考えられ、新たな発見が起こりうることが、ピース・ツーリズムの魅力だと考えた。実際、この2日間は、リアリティの中で鶉野の戦時中の様子を考え、そしてその意識で見ることで、鶉野の夕景に平和を感じ、五百羅漢で、「今もこれからも、自らの心の平和を問い、保たなければならない」と考えることができた。リアリティを伴う体験のおかげで、今の平和についても考えることができた。私は今回、初めて戦争遺跡に入ったが、そのおかげで今までより一層深く平和について考えられ、リアリティの重要性を痛感した。

江戸時代の石仏群と第二次大戦の遺跡という、時代が違うゆえに無関係に思われそうなものが、平和という軸によって一貫してつながることが印象に残った。

戦争から経る月日が長くなり、戦争体験した人の話を聞く機会が減り、戦争が遠い存在になる。しかし、戦争が一部地域にまだ残り、全世界で悲しく残酷な事件や人権問題が絶えない中、戦争の記憶と平和は皆に学ばれ、継承されなければならない。心の平和も一人一人が問い続けなければならない。そんなときに、新たな平和の学び方として、私たちが加西で体験したピース・ツーリズムが今後もっと広がればいいなと感じた。戦争を「知る」だけなら既存の平和学習やテレビ・新聞などの媒体で十分だが、さらに戦争と今を「考える」機会としては、ピース・ツーリズムが必要であると考える。

ピース・ツーリズムを体験した者が体験を他者に共有し、さらに彼ら他者が体験することで、平和に対する体験と意識がどんどん多くの人に広まり、高まっていく。そして、それは心の平和が広がり、高まることである。これが、ピース・ツーリズムから平和が広がるということではないだろうか。

 



藤川紗綺

神戸大学

 

 12月11日から12日にかけて、兵庫県加西市を訪問した。鶉野の平和観光、加西の下町観光を中心に、戦史を通じて平和を考える持続可能な観光を考えるフィールドワークとして、様々な学びが得られた。

 

 1日目は、鶉野の戦争遺跡巡りを行った。スタート地点として訪れたのは、当時、特攻隊含む戦争へ行く人々を見送る駅であった法華口駅である。私たちのフィールドワークは、当時の人々の気持ちに思いをはせることから始まった。鶉野の最大の魅力は、戦争遺跡が当時に近い状態で保管されていることだ。そのことにより、当時の人々の気持ちを想像しやすく、資料館を訪れて行う平和観光とはまた違った視点から考えることができる。何も意識せずに歩くと、そこはただの自然が豊かな田舎町であった。しかし、いたるところに戦争遺跡が存在し、戦争の事実を目の当たりにした。爆弾庫跡、多くの防空壕に加え、対空機銃座跡など様々な戦争遺跡の内部に入り、防空壕の中では特攻へ行く二人の遺書の朗読を含む映像を見た。遺書は彼らが書いたものをそのまま使っている。これらの経験はなかなかできることではなく、戦争の生々しさをいっそう痛感した。真っ暗な内部で一歩外へ出れば死が待っている状況を想像すると、練習生の思いを聞くと、戦争がない現在に生きることへ感謝しなければならないと感じる。

また、ガイドの方の話で、加西と私の母の地元、宇佐が戦争の歴史でつながっていること、私が在籍する神戸大学の所有地に様々な戦争遺跡が残されていることも知った。自身が戦争の歴史に深いかかわりがあることをこのフィールドワークから初めて発見することができ、意外にもいろんなところに平和観光の資源があるのだと気づいた。

 

2日目は、加西の歴史を学びながら様々な場所を訪れた。加西には、1日目に訪れた鶉野飛行場跡のほかにも様々な魅力があることを実感した。戦争の事実をありのままに伝える1日目と合わせて、平和で明るい街並みを観光することでこの地に対するイメージが変わった。戦争に関することを学ぶだけが平和観光ではない。まちの生き生きとした現在の様子まで知ることが重要なのだと感じた。戦争の歴史だけを学ぶとどうしても暗いイメージを持ってしまう人がいるだろう。しかし、戦争と平和の両面を観光することでイメージが変わるほか、平和のありがたみに加え、戦争と現在がつながっていることを改めて感じることができる。戦争は繰り返してはならないものであることに変わりはないが、そこでの技術が現在の生活に活かされていたり、戦争の事実により命の重さを強く感じることができたりするのもまた事実であると思うようになった。過去にあったことは変えられない。だからこそ、これから私たちがその事実にどのように向き合っていくかが重要になるのだと感じた時間であった。2日目で最も印象に残っているのは、小学生のガイドのもと観光した五百羅漢である。小学生が地元のことを勉強し、語り手になっている現場に立ち会うことができ、持続可能な観光の新たな可能性を感じた。平和観光において、語り手は大変重要な役割を担っている。その語り手を小学生が担うことで、歴史をこれから先、長く伝えることができる人材がいることになる。また、子どもたちの知識の深さに驚かされるとともに、彼らの無邪気さにほのぼのとして、平和とはこういったことなのかなと感じることができた。このような地域住民の温かさは、関係人口を増やすことにつながっていくのではないかと感じた。

 

平和観光における問題点として、この2日間で考えたことがある。それは、関心がない人を呼び込むことの難しさ、リピーターを得る難しさだ。これらの問題点の解決の鍵となるのが発信力だと思う。私たちのようにこの観光の良さを感じた人々がどれだけ周りの人を巻き込むことができるかがポイントである。参加者の一人が口コミの重要性を述べていて、その通りだと感じた。また、宇佐と関係のある私個人としては、この2地点のつながりをもっと大切にしていきたいと思った。離れた2地点を一度の観光に含めることは難しいが、互いの地域を紹介することや、次に行く場としてお勧めすることならできる。私たちが今後、宇佐にも足を運び、感じたことや考えたことを共有するのもよい。スタンプラリーのように、関係する地をすべて訪れることを勧める企画を作ってみるのも一つの手だと思う。全体を通じて、一つ言葉を残すならば、「平和観光は1日にしてならず」だと思う。平和観光には、今回のフィールドワークのように2日間のセットで平和と戦争の両面を考えたり、ここで学んだことを人に発信したり、あるいはもう1度訪れて新たな一面を探ってみたりすることが必要であり、たった1日で完結するものではないと感じた。私自身、これから先、この経験を生かして加西の魅力や学んだことをどんどん発信していきたい。

 


下園 智音

関西学院大学

 

今回の加西市フィールドワークに参加して、二日間ガイドをしていただきました。そのため私にとってとても学びのある時間を過ごすことができました。

 

一日目の鶉野飛行場跡地周辺では、当時使用されていた大きな滑走路後があります。これは当時川西航空機が制作していた「紫電」や「紫電改」の試験飛行に実際に使用されていました。ここでは、航空機の訓練も行われていました。

 

今、日本社会、世界は平和だといえるでしょうか?戦争を経験した方が願っていた平和が実現できているのでしょうか?

今回、ガイドの方のお話を聞く中で私は、今の日本社会、世界ではまだまだ平和とは言えないのではないかと感じました。友人と会う時間、家族との団欒の時間、恋人と過ごす時間。当時の人が願っていた平和とは、今の私たちが考える“普通の生活”だと考えます。普通の生活の中にはネット社会での誹謗中傷、経済格差、暴力など課題が山積みです。そこで平和を実現するために、歴史を学ぶ必要があると思います。

私は、少し前までは戦争は絶対してはいけないと思っていました。もちろん今後もこの考えは変わらないです。しかし、国籍関係なく当時の人がどんな気持ちでどんな思いで、訓練し沖縄に向かって飛んでいったのか、戦っていたのかを考えることや歴史を知っていくことで、少し考えも変わりました。今回ガイドさんのお話から、戦時中の技術発展といった側面も知る機会になりました。そして、その時代があったからこそ、今の私たちの生活があることを実感しました。戦争をただ悲観的に見るだけでなく、歴史を知っていく上で今の私たちの学びにつながってくる部分が多々あるといった点が今回の私の学びです。

もちろん戦争は今後あってはならないです。そのことを考えてもらうきっかけになる場所が兵庫県にあるということを認識してもらいたいです。また日本各地にそういった歴史を知る場所があることを認識してもらい、調べ、実際に足を運んでもらいたいです。その中の一つに兵庫県加西市があれば、なお当時の人たちの思いを考えるきっかけになると思います。そして、その学びを通して平和とは何かを考え、一人ひとりが意識していくことで、日本で、世界で平和な社会を実現することができるのではないでしょうか。しかし、学校では、戦争について深く学ぶ機会は少なく、家庭学習が必須な分野です。そこで鶉野飛行場跡地周辺は学びの場となります。そのため、まだ鶉野飛行場や加西市を認知していない人に知って貰うためのきっかけ作りとなり、実際に足を運んでもらうための情報発信やイベントなどを考えていくことが重要だと思います。

 

二日目の街歩きでは、昔の建物が残っており時の流れを止めたような雰囲気があり、その中で当時の人たちの生活の工夫が見えてきます。そして、その古い名残が残る文化財の多くの中に現代チックなカフェやゲストハウスなどの宿泊先があるのも歴史の流れを感じ、魅力的です。

その中でも今回私が印象に残っているのが、小学生に「五百羅漢」を案内していただいたことです。小学生が一生懸命案内してくれる姿が微笑ましくも私たちが知らないことをスラスラと案内し、質問にまで丁寧に対応していただいた姿が印象的です。五百羅漢は江戸時代初期の寺再興に伴い寺内整備や信仰供養のために造立されたと言われています。また500体の中に必ず親や子といった誰かに似た像があると言われています。またその学校の毎年恒例の授業の様子なども聞く機会があり、短い時間の中ではありましたが、とても充実した時間を過ごすことができました。

 

今回、加西市への訪問は二回目でした。以前訪問した際に、鶉野飛行場が平和・戦争を考えるきっかけの場となるよう周辺整備を進めてほしいとレポート(2021.02.21)に記載させていただきました。現在は道路などの周辺工事は完了し、安心安全に戦跡を見て回れるようになっていました。ミュージアムの工事も着々と進んでおり、完成が楽しみです。

兵庫県に住んでいながらも、特攻隊員の方が訓練した場所があると知らない方も多いと思います。その中で、知ってもらうきっかけづくりと足を運んでもらう機会を作ることが必要だと思います。加西市は、学びあり、楽しみありの魅力が詰まった町で私もまだまだ知らない魅力があると思います。また、足を運び、新たな学びにつなげていきたいと思います。

 



土岐 厚博

神戸学院大学

 

私は加西市フィールドワークで5つの事を感じました。

 

まず 1つ目は特攻隊員の方々に思いを馳せることができ、彼らはどの様に出撃までの日々 を過ごしたのか考えることが出来ました。 私達は鶉野飛行場周辺の市街地を散策しました。鶉野飛行場にやって来た特攻隊員達は出 撃までの数日間を鶉野で過ごします。そして、その際に市街地を訪ねたりしたとの事でし た。その時私は、私と同じ 20 代の方々が確実に命を落とす作戦に参加し、数日後には亡 くなっている可能性があることを想像することが出来ました。生存する可能性のある作戦 ではなく確実に命を落とす作戦に参加する数日前の隊員達の心境というのは想像したとこ ろで現代の私には上手く想像出来ていないのかもしれませんが、このような事を想像する ことに意味があるのではないかと私は感じました。特攻隊員の方々が市街地を散策する際 にも「自分達は数日後には死ぬのだろうか」など自身の「命」の事に精一杯で、散策など をして気を紛らわせていないとやっていられないのではないかとも考えました。 それと 同時に隊員達と私達が見た景色は本当に同じものだったのか考えさせられました。

 

2つ目は紫電改に使われた技術が現代の日本の生活にも深く関わっていると言う事を知り、 複雑な思いになりました。 紫電改などの戦闘機に使用された技術はダンプカーや新幹線 などに活かされ、現代の生活に密接に関わっているとの事でした。 この事を知り、戦争 に日本が参加していなければ大切な日本・外国人の命は失われずに済みましたが、今の様 な経済大国に日本は発展していないかもしれないと考えました。戦争はあってはならない ということは間違いなく、戦争のお陰でというのも変な話ですが、この影響で少なからず 技術が発展したと考えると戦争というものはつくつぐ厄介なものだと思いました。 戦争 という経験があった上で現代の日本の生活があるということをひしひしと感じました。ま た、それと同時に戦争で亡くなった方々に現代の日本はここまで発展することが出来たん だということを伝えることが出来るのであれば伝えたいと思いました。

 

3つ目は同世代の方々が特攻で亡くなった一方、私は命の危機に怯えることなく毎日を過 ごすことが出来ているということがいかに幸せなのかということを感じました。特攻に行 くための飛行訓練をしている際にも事故は起こり、多くの方が犠牲になったと聞きまし た。日々訓練は行われ、隊員の方々は常に命の危機があったわけです。いつ命を落とすか どうか分からない状況に置かれることは現代の私達はありません。ましてや毎日そのよう な危機に脅かされるということは現代ではまずありえないです。日々不安に駆られながら も文字通り「必死」で当時を生き抜いた方々からみると現代はぬるい時代だと考えるかも しれません。このようなことを踏まえると私達が今如何に幸せで、如何に小さなことで 日々悩み心配しているのかが分かりました。

 

4つ目は戦争の歴史や特攻隊員について戦争を知らない世代に語ることの難しさとタイム リミットが迫っているのではないかと感じたことです。鶉野飛行場周辺をガイドしていた だいた森さんの言葉を聞いていてガイドする事の大切さや難しさなどを感じました。ガイ ドをする際に1つ1つの言葉選びや口調などを変え、話を聞いている私達に理解しやすい ようにしていることが分かりました。ガイドの難しいところとして、戦争のことを全く経 験していない私達に伝えるという事が難しいと思いました。戦争を全く経験していないた め、正解も分からず、どこまで理解出来ているのか確かめにくいのではないかと思いまし た。また、ガイドさんの多くも高齢で引き継ぎが必要な時代に差し掛かっているのではな いかと感じました。ガイドの育成には何年も必要なため、今から始めていかないと正しい ことを伝えることのできるガイドさんが育成出来ないのではないかと思いました。歴史を 語り継ぐ人間の育成は今しかないと強く感じました。

 

最後は、戦争を終えてから後悔する方もいるということを聞き、戦争は終わってから何十 年も人々を苦しめるのということが分かりました。 戦争中に様々な体験で苦しみ、そし て、周囲の人間が特攻で亡くなっているのに「自分だけ生き残っていて良いのだろうか」 と考える方も多くいたとのことでした。私は生き残ることを悪とした海軍の慣習や周囲の 同調圧力などの影響がすさまじいものだと感じるのと同時に、このような生きながら苦し みを感じている方々のケアというものが十分に実施されてきたのか疑問に思いました。 いつの時代も必要な人間に必要なケアが行き届いていないのではないかとも感じました。

そして、この文章を書いている際にも胸が痛くなることが多く、この今の気持ちというも のを忘れることなく多くの人達に語り継ぐことが出来るようにもなりたいです。

 


増永 レベッカ

神戸女学院大学

 

2021年 12月11日〜12日の2日間、兵庫県加西市でフィールドワークを行なった。平和観光で加西市を盛り上げるために現在行なっている取り組みを見学させてもらった。その時に得た学びをまとめる。

 

●北条鉄道

 加西市に向かうときに最初に出迎えてくれるのが北条鉄道だ。1〜2両のワンマンカー、単線なだけで大阪の都会に住んでいる私からすると、十分テンションがあがる。さらに北条鉄道の車両が美しい。ピンク、グリーン、紫色の車両は田園風景にとてもよく映えていた。法華口駅では春の桜と北条鉄道の車両を写真に収めようと多くの人で賑わうそうだ。北条鉄道にお邪魔してお話を聞いた際、私たちYDHにサプライズで、まさにその日加西市に到着した「キハ40形」の車両を見せていただいた。秋田で運行を終了し、譲り受けてもらったものだ。国鉄時代に製造され、知る人ぞ知る貴重な車両だそうだ。

キハ40形の購入や鉄印帳、定期的に開催されるイベント列車など、北条鉄道は乗客を集めるための工夫をしていた。通勤通学で利用する乗客がメインだから、鉄道を維持しなければいけない、しかしそれだけでは赤字になってしまう。そこで観光利用の乗客を呼ぶことが必須なのだ。

 

●鶉野飛行場跡

 北条鉄道法華口駅の周り一体が平和観光地である。当時作られたままの防空壕がそのまま残っており、状態が良いものは中に入ることもできる。狭い空間にぎゅうぎゅうになりながら、長い時間不安な気持ちで身を潜めていた当時の人たちの気持ちは到底想像できるものではない。コンクリートで作られた1番大きな防空壕では映像を鑑賞できるようになっており、特攻隊の隊員が残した遺書を公開している。のちに職員の方が、加西市では隊員の建前の部分だけではなく、生々しい本音も伝えていきたいとおっしゃっていて、そうするには様々な壁を乗り越えなければいけないことがわかり、私たちのような若い世代も一緒になって考えていかなければならない課題であると感じた。

 鶉野飛行場跡は道路が作られた以外は、そのまま土地が残っていて、なにか有効活用できないかというのが第一印象だった。私たちがFWをした日はDJが音楽を流しながら近隣の方が集まっていた。現在は局地戦闘機「紫電改」の模型が展示されているのと、鶉野平和祈念の碑が立っている。2022年の4月には資料館も完成するので、ぜひ行きたい。

 

●北条町歩き

 北条町は鶉野飛行場から6kmほどの距離にあり、加西市の繁華街だ。戦時中、鶉野飛行場で訓練をしていた隊員に特攻命令が出ると、北条町で最後の晩餐をしていたそうだ。食糧も十分になかった当時、隊員のために鶏肉のすき焼きを振る舞うのが通例だったという。このすき焼きを再現した弁当をFWの最後にいただいた。このような背景を知りながら、ガイドさんに北条町を案内してもらった。うだつや虫籠窓といった、自分で観光するだけでは絶対に気づかない、知り得ない情報をたくさん盛り込みながらのガイドだったのですごく楽しかった。北条町は昔ながらの街並みが残っており、観光価値が高いと感じた。

 五百羅漢は小学生にガイドをしてもらった。クラブ活動でガイドをしているそうだが、コロナの影響で今年2回目のガイドとのことだった。しかし2回目とは思えない堂々としたガイドに大学生の私たちは圧倒されていた。小学生にももちろんいい機会なのだが、それと同時にガイドされている私たちにも貴重な機会だった。

 

 2日間どっぷり加西を満喫して、観光価値がたくさんあると感じた。一方、観光客に来てもらえるように広報するのは難しいと思った。そもそも平和観光は表現や、どこまで伝えるかなど難しいことも分かったし、加西市の価値は、インパクトがあって象徴になるようなものがあるわけではなく、鶉野一体と北条町の地域全体であるから周知の段階に大きな課題があることもわかった。実際私も特攻隊のことは知っていたけど、加西市に訓練飛行場があることは知らなかった。特攻隊という言葉は日本国民全員知っているだろうけど、背景、中身まで知っているかと言われたら自信のない人が大半ではないかと思う。戦争の記憶を無くさないために、観光を活性化させて保存することが大切で、かつ観光客が増えると特攻隊の知識も広がるから、加西市に多くの人が訪れてほしいと思う。まず私ができることは口コミで加西の良さを広げていくこと。このレポートも然り、周りの人たちに加西の魅力を発信していきたい。

 



今村 康佑

関西学院大学

 

加西市フィールドワークを終えて

 

実際に現地に足を運び、現地ガイドや加西市役所、現地住民の方々の声をお伺いしながら1日目は鶉野飛行場をはじめとする史跡、2日目は北条鉄道や北条の街並みをめぐった。

改めてこうして貴重なフィールドワークに参加できたことに感謝したい。たった2日間とは思えないほど濃密なフィールドワークを終え、観光資源としての加西市や平和に関して考えたことを以下に記す。

 

① 観光資源としての加西市に関して

第一に私が感じた加西市の二点の魅力、第二に現地の方の声を聞いて感じた今後の課題に関して述べる。

加西市の魅力として、「戦前のありのままが残る街」と「歩きながら学び、感じられる街」の二点が挙げられる。加西市は、自然豊かな山々に囲まれた緑が豊富な美しい街である一方で、戦時中は特攻隊員の軍事演習地であったことから、街の至る所に生々しい戦争の跡が残っている。私はこれまでに広島、沖縄、鹿屋、知覧を訪問した経験があるが、同じ平和を象徴する街であるにもかかわらず加西市とは大きく異なる点がある。それは、街全体として平和を感じることが出来るか否かである。例を挙げると、多くの修学旅行生は広島を一度は訪れ、原爆ドームの生々しい姿を目にし、平和資料館を見学する。私自身も小学6年生の際に広島を訪問し、原爆や戦争の悲惨さや残酷さに衝撃を受けたのを覚えている。しかし、原爆ドームや平和資料館を一歩離れると、戦後に人間の努力によって綺麗に整備しなおされた空間が広がっている。平和公園では被爆者に追悼の意をささげることが出来るが、当時ここで何が起こり、人々が何をどう感じたのか、想像するための空間のリアリティはないように感じる。加西市にはいくつもの防空壕が、当初の姿を残したまま点在している。ガイドの方のお話によると、全国各地で空襲に備えた防空壕が戦時中造られたが、すでに重機等で壊され、加西市のように現代にはもう残っていないそうだ。加西市にも鶉野飛行資料館という資料館があるが、今回のフィールドワークでは資料館を訪問していないにもかかわらず、新たな学びや平和に関して考えさせられたことがたくさんあった。私のこれまでの平和学習では、インターネットや映画から得られる情報や、資料館で展示されているものから、戦争や平和に関して考えることがほとんどだった。鶉野の街を歩いただけで、何か心にグサッと響いたのは初めての体験だったように思う。2日目に訪問した北条では、戦時中から変わらず街のシンボルとして活躍する北条鉄道、昔ながらの民家と個人商店や寺が並ぶ風景を目にした。現代と同じように、戦時中にも人々の日常や生きる喜びがこの街にあり、北条鉄道や祭りといった文化を通じて今に繋がっているように思えた。時代が大きく変化した今、第3セクターとしての鉄道や個人商店は合理的に考えれば必要不可欠とは思えないが、何十年の歴史を経ても変わらず同じ文化を愛し続ける人々が今いることに、1日目の鶉野訪問時に感じた「平和」の尊さを感じることが出来た。

 

② 平和に関して

これまでの平和学習と今回のフィールドワークを通して、変わらず感じた点と新たに感じた点がある。

変わらず感じるのは、平和と命の尊さである。特に特攻隊の内容において、本当に彼らが誇りを持って命を捧げたのか否かは想像することしかできないが、どんなに当時の戦局が悪化していて他に成すすべがなかったとしても、今と当時で命の重さに変わりはない。また、現代社会の日本では当時の「戦争」はないが、特に若い世代の自殺が後を絶えない。私事であるが、私の小学校の同期が今年の秋に自ら命を絶った。葬儀の参列時に、残された家族や恋人が深く悲しんでいる姿を目の当たりにして、この状況をつくってしまった本人に対する怒りと深い悲しみでいっぱいだった。改めて、平和と命に関して自ら考え直す必要があると思った。

一方で、新たに感じた点は戦争の歴史についての考え方である。これまでの私の平和学習では、戦争による過去の負の歴史を見て「戦争はいけないんだ」とたんに感じるだけだった。今回のフィールドワークでは、リアリティ溢れる加西を歩いて、当時の兵士や住民がどのように時代を生き、今に繋がっているのかを考えることが出来た。戦時中の悲しい歴史だけでなく、北条鉄道の存在や軍事技術が現代産業に繋がっている点など、歴史を超えて今に繋がっている歴史の流れも感じることが出来た。あるべき平和学習とは、戦争が起こった場所や歴史を見つめ、私たちの平和社会にどのようにつなげていくのかを考えていくことだと思う。

 


瀬野 佳奈

関西学院大学

 

加西市フィールドワークを終えて

 

12 月 11.12 日に加西市を訪れ、両日とも地元のガイドさんに案内していただきました。1日目は、北条鉄道法華口駅から鶉野飛行場まで、2 日目は北条の町を巡り、戦時中の人々 の暮らしを想像しながら歩いていました。加西市には歴史を感じられる遺跡や建物が多く、当 時の様子を一つひとつ説明していただき、あまりツアーに参加したことがない私にとって、新 鮮でとても貴重な体験となりました。以下はガイドさんの案内を通じて考えたことを中心に書 いていきたいと思います。

 

「戦争」「平和」と聞くと、少し難しく考えてしまうことがあると思います。私も、平和などのテ ーマに興味を持つまでは、身構えてしまうこともときどきありました。美術館は敷居が高いと感 じてしまう人がいるように、平和観光にも少しハードルの高さを感じてしまう人がいるのかもし れないと感じています。戦争を体験していない世代には、戦争を身近に感じることは難しいで すが、それでも、なにか少しでも、自分に関連付けることができるとそのハードルは下がるの かもしれないと今回のフィールドワークを通して感じました。

 

そのように思うようになったきっかけは、ガイドさんから過去のツアーに参加されたお客さん 方の話をお聞きしたことです。その方々の中には、昔、「鶉野飛行場付近で戦闘機の製造に 携わっていた方」、「飛行機の操縦練習をしていた方」などがいらっしゃったそうです。ご家族 に当時の日常の暮らしを含め、出来事を熱心にお話されていたとお聞きしました。鶉野は、約 500 名の方が飛行訓練を受け、戦地へ飛び立った土地であり、悲しい記憶が残っている場所 でもあります。一方で、かつて、誰かの仕事場や思い出が詰まった場所でもあり、そのご家族 にとって鶉野飛行場は家族を知る場所でもあるということに気が付きました。そのことを受け て、日本の戦争を遠い存在のように感じてしまうかもしれないけれども、自分に関連づけるこ ともできるのだと思いました。例えば、自分の祖父母が過ごしていた頃はどのような暮らしだ ったのだろう、など気軽に考えてみてもいいのではないかと思いました。

 

「自分に関連づける」という話でいうと、私が戦争というテーマについて考えるようになったき っかけもそれにあたります。そのきっかけとは、YDH のメンバーが、「加西を訪れたこと」(今 回のフィールドワーク前)を話してくれたり、戦闘機に関する動画を共有してくれたことです。 初めは、メンバーはどんなことに興味を持っているのだろうという気持ちで話を聞いていまし たが、次第に一緒に平和資料館に行ったり、記事をシェアしあったりするようになりました。身 近な人から身近な人へ、見て体験したことを伝えることも大事で、今回のフィールドワークで 「戦争のことを未来に伝えていく方法」について議論がありましたが、その方法を考えていくた めの一歩でもあるのかなと感じました。

 

これまで、戦争などを自分自身と関連づけることで平和観光のハードルを下げられるかもし れないと述べてきました。しかし、今回のフィールドワークで話し合っていた「平和観光に興味 を持っていない人に観光してもらうにはどうしたらいいか」という問いに対して、まだ自分の答えは出せていなく、戦争のことを自分事と捉えやすくするためにはどうしたらいいのか、などま だ考えている途中です。そのため、今は自分にできることをしながら、その問いに対してじっく り考えてみたいと思っています。今年の 4 月に訪れた鹿児島県鹿屋から、姫路平和資料館、 愛媛県愛南町の紫電改展示館、そして加西市の鶉野飛行場と北条町を見てきました。戦闘機の名前やつくられた背景、土地の位置関係と出来事など、馴染みがあるものが増えてきま した。これからは、学んできた情報を繋げられるようにしていきたいです。そして、知り合いと 加西市を訪れ、自分が今回感じたことや今まで学んできたことを伝えることも目標にしていき たいです。

 



白井 茉美

神戸学院大学

 

めることや考えを発信していくことが、平和学習を進めていくうえで重要だと考えられる。

また、徒歩で戦争遺跡を巡る最中、ふと小中学生の頃行った平和観光を思い出した。当時、遺跡を巡る際はバスで移動を行っており、映画の一部分を淡々と見ているかのように感じていた。今回、自分の足で遺跡を巡ったことですべての戦争遺跡は繋がっており、これらは実際に起こった戦争の跡なのだと実感した。平和観光において、当時の人々と同じ立場に立ち、その土地の空気を感じながら自分の足で進むことがいかに重要であるかを理解することができた。そして、今回戦跡を訪れたことによって、戦争へ向かう人々と戦争から逃げる人々、双方の状況や心情を知ることができ、戦争の学びを深める一歩となった。

 

 

●2日目

2日目は、北条鉄道の見学や1日目の戦跡巡りで得た知識を用いて北条のまちを散策した。

北条鉄道では多様なイベントの開催、また御朱印長の鉄道版である鉄印帳を販売し、いつ訪れても異なるデザインの鉄印を手に入れられるようにするなど、リピーターを増やす様々な工夫が行われていた。ほかにもクラウドファンディングを行っており、北条鉄道そのものを生かした工夫案の豊富さに圧倒された。

その後、過去と今を照らし合わせ、当時の特攻隊員の人々や住民が過ごしていたことを抱きながら北条のまちを歩いた。平和観光を行う前に訪れていたら、自分はこのまちに特別な感情を抱いてはいなかっただろう。まちを歩く最中、ガイドの方が地元の人々と会話を交わす姿は、当時の人々と重なり、街並みだけでなく当時の人々の雰囲気までも味わうことができた。

そして2日目で特に印象に残ったのが、小学生による「五百羅漢」ガイドである。まず地元の子どもにガイドしてもらうこと、そこに度肝を抜かれた。そして子どもに案内してもらうことはもちろんだが、まず地元の子どもとふれあうこと自体も貴重な体験であった。ガイドの子どもたちは校外学習などのまちを教えてもらう受動的な学びを飛び越えて、まちを教える立場に回っている。地元を発信していく力を身につけ、まちを教えるという一歩先の状況で子どもたちは学んでいることを知り、自分自身も地元の学習や発信に励む必要があると感じた。また、ガイドの小学生に「このまちのことどう思っていますか」と尋ねると、「好き」と答えた。自分も同じく、すぐに好きと答えられるだろうか。地元の知識と誇りを持って案内をする姿からは、学ぶべき点が多かった。

 

●最後に

戦争という言葉を聞くと、悲観的で重苦しいものととらえてしまうかもしれない。戦争というものをフィルター越しに見てしまっているかもしれない。これまで学校で行ってきた平和学習では、戦争の小さな一部を切り取り、悲観的な側面だけを見てきた。だが、今回の平和観光では現代に生きる自分と当時の人々、その両方の立場に立ち、まちや人にふれて多角的視点から理解を深めた。そこから感じたのは、戦争を考えるにおいて戦争に対しての敷居をあげるのではなく、身近にとらえることが重要ということである。

また、自身はYDHに参加していたからこそ、この場所を知り、その歴史を知ることができた。知識を得るには、自発的に調べることや知識を発信する人が必要である。今後は知識を発信する側へと回ると同時に、学びも続けていかなければならない。