鶉野飛行場訪問レポート

2021.2.21

下園 智音/関西学院大学

 

 

 

 2月21日、兵庫県加西市にある鶉野飛行場を訪問しました。ここでは、資料館をはじめ戦闘機である紫電改の模型を目にすることができます。また、姫路海軍航空隊特別攻撃隊「白鷺隊」の隊員たちの遺書を「望空郷シアター」で当時の文面そのままで公開しています。

 鶉野飛行場は太平洋戦争終盤、戦局が悪化しはじめた頃に急遽パイロット養成のため建設されました。実用訓練を行うための練習部隊があり訓練を終えた練習生たちはそれぞれの航空隊へと赴任していきました。1945年2月には特別攻撃隊が編成されることになり、姫空で編成された特攻隊は白鷺隊と名付けられました。

 飛行場がある鶉野の道では、畑に緑が生い茂り温かい春のそよ風を感じるこの場所で本当に苦しい生活を送っていた人たちがいたのか、想像をすることもできませんでした。それが、私たちが生きる時代がいかに不自由なく平和なのかをひしひしと感じさせられました。

 資料館では、当時の生活や紫電改による唯一の事故である国鉄北条線列車転覆事故について展示されていて、この場所に飛行場が建設された理由や実際に紫電改に乗って、米軍機との空中戦をした人の当時の国を背負っている思いを知ることもできました。スタッフからお話を聞くこともできたため、詳細に知りたい方は足を運んで欲しいです。

 また、望空郷シアターでは当時の隊員たちの遺書がそのまま上映されていて、手紙を書く隊員たちの想いが想像できました。修学旅行生の訪問もあるため、戦争を知り平和を考える1つの方法としては魅力的です。ただ、望空郷シアターは隊員たちの遺書が綺麗にまとめられすぎていると感じました。戦争について語る上で発信側は、隊員たちの気持ちを考えて発信する必要があると考えます。上映作品や展示物は作成者(発信側)の憶測でしかなく、隊員本人の気持ちを読み取ることはできないと思います。本心から、“お国のために”、“名誉”だと言って飛び立っていった人がいたのも事実でしょう。一方で、“生きたい”、“家族と過ごしたい”と思っていた人もいたのではないだろうかと考えます。“志願”と言われるが軍国主義であった日本では、“No”と言えない空気感があったと思います。また、国のために尽くすと言った思考そのものが出来上がっていたと思います。綺麗なところだけでなく、戦争の卑劣さや悲惨な場面も伝えていくことや考えることが今後の平和を考える上で重要になると考えます。

 

 私はふと疑問に思うことが一点あります。当時の日本は本当に特攻という道しか残っていなかったのだろうか。また、特攻を止めることはできなかったのか。その答えのヒントを求め、今回鶉野飛行場に訪問させていただきました。しかし、死んだ人たちの心のうちを聞くことはできず、私個人の想像でしかないことがとてももどかしく思いました。しかし、この想像は決して無駄ではないと考えます。今の日本に平和があるのは、国を背負っていってくれた人たちの想いがあるからで、その想いを現代に生きる私たちが背負うことはできます。そして皆が戦争を通して平和を考えることで、日本から世界へと貧困、飢餓をなくしSDGsの16の目標である「平和と公正をすべての人に」と言った誰もが幸せに暮らせる世の中を実現できると信じています。

 私たちが見て、聞いて感じたことは本人が体験したことのほんの一部のことにしか過ぎないので、すべて理解することは不可能です。しかし、ほんの一部のことであったとしても複数のものを聞くことで大きな塊になると思います。そのほんの一部の情報を得るために鶉野飛行場に是非、足を運んでいただきたいです。

 また、地域の方には鶉野飛行場周辺の整備を進め、地域の魅力向上につながってほしいです。現在の周辺状況では、訪問者の昼食やお茶をする場所がなく滞在時間が短くなることや再訪問する人が少ないと思います。そのため、昼食場所や議論する場としての御茶所があると魅力向上につながり、訪問しやすくなると考えました。