2022.3.19~20

兵庫県加西市と鹿児島県鹿屋市の交流事業

 

 「空がつなぐまち・ひとづくり推進協議会」を構成する鹿児島県鹿屋市との連携事業として開催された戦跡視察プログラム。熊本県、福岡県の戦跡を巡りました。


石原琴音

兵庫県立大学

 

 九三式中間練習機 (通称: 赤とんぼ)

 

地下壕跡

 


1)ひみつ基地ミュージアム (錦町立人吉海軍航空基地資料館) 

 ひみつ基地ミュージアムは、熊本県にある比較的新しいミュージアムだ。特徴的なのは、ミュージアムの裏手に大規模な地下軍事施設が今も、ほぼ当時のまま残っていることだ。フィールドワークに近い形で地下壕を歩いて周ることができる。空襲を避けるため、地下に巨大な施設ができた。終戦後は、長い間放置されていたため、そのままで残っている。残念ながら、ミュージアムができたのは最近で、この施設を知る人が少なくなってしまい、わからないことも多い。しかし、この施設が人吉海軍航空隊の施設で、九三式中間練習機が飛び交っていたのだ。戦争の資料はあまり多くないが、この施設のポイントである地下壕は縦横に広がり、大きく長い。当時の柱やベッドの支柱跡が残っている。地下壕の周りは整備され、非常に歩きやすい。また、フィールドワーク感覚で実際に歩くと、その時代にタイムスリップした感覚になる。戦時中からそのまま残る施設を歩くことで、少しでも、当時の様子をつかむことができるのではないだろうか。

 

 ただ、観光施設としての問題点はある。まず、自然の中にあるため、歩道や階段の整備に恒久的にお金がかかってしまうこと。ミュージアムにレンタル自転車が設置されているが、近辺に観光地がないこと。そして、アクセスが車に限られる(途中まで公共交通機関を用いても最終的にはタクシーになる)ため、周りに大きな観光地がないと自立が難しいと思われる。若い世代は免許を持たないことが多いので、車の移動手段になってしまうと、興味を持っても足が遠のいてしまう。コミュニティバスなどが停車するなどがある方が、集客につながるのではないかと思う。まだ、ミュージアムとしての認知度も低いので、インスタグラムアカウントなどを利用して、周囲の観光地と一緒に広めていく必要がある。インスタグラムで検索をかけてもヒットしなかったので、若い世代がみるインスタグラムでのヒットを増やせば一気に認知が広まると思う。

 

 学生の目線では、平和学習からずれてしまうかもしれないが、地下壕は、光やプロジェクションマッピングなどのアートに合っていると思われる。いきなり、戦争や平和学習といわれても、なかなか足を運びづらい。そこで、最近の‘映え‘の風潮にのれば、前述の問題点があっても、若い世代を呼び込むことができると思う。そこから、実はこの場所に基地があって…と知ってもらうこともできる。また、飲食ブースのスイーツに力を入れている印象だった。それをさらに、個性的なものにしてセットにすることもできると思う。巨大な飛行場あとに、加西市のように気球を飛ばし、ドローンなどの空中を使ったイベントもできると思う。

 

 免許を持っていない若い世代が多いとはいえ、2021年に新成人を迎えた人での免許保有率は、57.2%で、都市部で48.8%、地方で59.6%であり、上昇傾向にある。また、免許取得予定は26.4%で、これを含めると新成人の83.6%になる。(ソニー損保「2021年 新成人のカーライフ意識調査」参照) つまり、免許を持たないといわれている若い世代でも、コロナ禍や現在の状況(濃厚接触になると公共交通が使えず、買い物に行けない。または、鉄道の廃線が増えているなど)により、免許取得している。よってアクセスが多少悪くても、魅力的な観光地、リーズナブルなレンタカーなどがあれば、解決できると思われる。

 

 

三角兵舎

 

三角兵舎の内部

 


2)知覧特攻平和会館

 

 知覧は、特攻隊が飛び立った飛行場があった場所である。まず、特攻する最後の数日を過ごしたという三角兵舎を訪れた。三角兵舎は、その名のように横から見ると、三角の形状だ。これは、上空から見て分からないようにするためのつくりで、林のなかに、三角になった屋根に木を敷き詰めて、カモフラージュされていた。ここに、特攻する数日前から寝泊りし、出撃を待ったという。ここを訪れたとき、非常に重い空気感を感じた。カモフラージュのため、半地下のような形で、林の陰に潜む暗さのせいもあったのかもしれない。しかし、ここで起きた悲しい歴史がそう感じさせるのではないかと思った。写真の通り、雨の日は雨漏りし、カビが生えた劣悪な環境だったという。そんな場所から、最後に飛び立ったと考えると、非常に胸が痛くなった。

 

 平和会館は、休日で人が多く、知覧の認知度を再確認した。ここの展示は、主に特攻隊員の手紙だ。その手紙を書いた隊員の写真、年齢、出身地、大学、所属部隊の説明が一緒に展示されていた。どんな人物がこの手紙を書いたのか、見た上で読むと、手紙の理解が一気に深まり、悲しくなった。今を生きる私たちには決して理解することはできないが、手紙を読むことで、少しでも書いた人の気持ちに触れることができると思う。ここは、大学生に訪れてほしいと思った。なぜなら、特攻隊員の大部分は、学徒出陣で徴兵された20代前半の大学生だったからだ。隊員の出身校は、YDHメンバーの出身大学の多くであったし、私の大学の前身の大学出身の方もいた。私と同世代の隊員が、特攻したという事実は、非常に悲しかった。まだ、学業が残っていたのに、将来もあったのに。大学生活を楽しみ、将来を考えて就職活動する私たちは、大変恵まれていると思った。就職活動などで辛いこともあるけれど、それすら隊員には経験できないことであると思うと悲しいし、悔しい。また、手紙は、字が震えているものもあり、直前の動揺した気持ちが伝わった。どの手紙も字が綺麗で、文章も同じ年代の人が書いたと思えないほど、整っていた。それらを見ると、深く感じることがあると思う。それは、大学生の視点、親としての視点、家族としての視点と、各年代で感じることは異なると思う。小学生ぐらいに小さいと逆に難しすぎるのかもしれない。特攻隊と同世代の今だからこそ、感じられることもあるので、ぜひ大学生に足を運んでほしいと思った。

 

 

太刀洗平和祈念館

 

零式艦上戦闘機三二型


3)太刀洗平和記念館 

 太刀洗平和祈念館は福岡県にある、工夫を凝らした展示が特徴の博物館だ。まず、一階には、唯一の現存機である零式艦上戦闘機三二型が展示されている。その上の天井には、B29の実物大パネルがあり、零戦との大きさの違いを実感することができる。また、飛行機模型があり、戦況とともに飛行機が変化したことがわかる。当時の高い技術を実感できた。展示の一部は、床に投影されるようになっていて、子どもが飽きないように工夫されていた。追悼の部屋では、特攻隊員だけでなく、アメリカ兵の名前や写真が置かれ、追悼されていた。その奥にあるシアターでは、ドラマ仕立てで、おばあさんが太刀洗飛行場付近の戦跡を孫と回るという内容だった。その孫世代の小学生がみると、より共感しやすくなると思った。工夫の凝らした展示で、小学生もある程度理解できるのではないかと思った。家族で一緒に訪れることもできると思う。この博物館では、時代経過を追いながら、飛行機の発展と戦争の状況を理解することができた。



4)全体を通して

 

 加西の鶉野飛行場から人吉、知覧、太刀洗を巡ることで、戦争の時系列や出来事を学ぶことができた。それぞれのガイドの方のお話や展示の視点は異なっていて、すべて巡ることでこそ、理解が一層深まったと思う。一つのミュージアムだけだと、どうしても一つの視点になってしまう。すべて回ることで多方面からの理解に繋がる。しかし、ミュージアムすべてを一気に訪れるのは、距離的にも時間的にも難しい。そこで、どれか一つを何かの観光とセットで組み込み、九州を何度も訪れる人に、ひとつずつ観光地の候補に入れてもらうのが大切だと思う。

 

 また、特攻隊が訪れていたという鹿屋市の和菓子屋、富久屋では、特攻隊との最後の別れについてお話を伺った。ミュージアム以外でも、歴史を巡り、感じることができる場所があると思う。しかし、そういった場所を知る機会がほとんどない。そのような場所をもっと伝えることも大切だと思う。

 

 

5)提案

 

 加西では、うずらの弁当が特攻隊に最後に出されたという。その味を感じることで、その時代についての理解を少しでも助けることができると思う。鹿屋では、富久屋の方が、特攻隊に最後に渡したお菓子を再現した海軍タルトがある。最後に食べた味をセットで食べてもらうことで、興味を持ってもらうきっかけにすることができると思う。

 また、オンラインでの体験も最近の主流になっている。この二つをオンラインで見ながら、食べてもらって、歴史をオンラインで学ぶこともできると思う。