2022.3.2~3
朝来市フィールドワーク

 

 「天空の城・竹田城」で一躍全国区で有名になった兵庫県朝来市。急増した観光客は地域の活性化に大きな影響を及ぼした一方で、市民生活とのバランスや人材不足などが課題となっていました。その後、ブームも一段落して観光客が減少し出したタイミングで到来したコロナ禍を受けて観光地経営の見直しが求められている朝来市を訪問。市役所の方々から観光基本計画の見直しに関するレクチャーを受けた後に主要観光スポットの取材を行い、意見交換を行いました。

 



萬谷 嘉芳

関西学院大学

 

●はじめに

 3/2から3/3にかけて、朝来市にて1泊2日のフィールドワークを行った。今回訪れた朝来市は将来、市の人口が著しく減少することが予測されている。そのため、地域の活力を維持していくうえで、市内での消費活動を促す「観光」は重要な役割を担う。今回のフィールドワークでは、一時はメディアの影響でオーバーツーリズムさえ引き起こしていた朝来市において、観光客数のピークも過ぎ、コロナ禍である今、どのようにして再び観光客を増加させるかということについて考えた。本レポートでは、2日間を通して感じた朝来市の魅力を述べ、それを踏まえて今後の朝来市の観光について提言を行う。

 

●訪れて感じた朝来市の魅力

 フィールドワーク以前、私は朝来市について竹田城跡と生野銀山があるということは知っていたが、やはり竹田城跡の雲海や日本のマチュピチュの印象が強く、他の魅力についてはほとんど知る機会が無かった。しかし、今回初めて朝来市を訪れ、観光資源の多くが「鉱山」と関連しており、朝来市は産業の面で長年にわたって日本を支え続けていたことが分かった。この点から、大きく分けて2つの魅力が見出せると感じた。

 第一に、それぞれの観光資源を生野銀山・神子畑鉱山と関連づけることで、市全体を通して、様々な時代の日本を垣間見ることができる点である。まず、最も古い歴史がある竹田城について、竹田城廃城までにあった攻防は、生野銀山を手中に収めたかったがためであったと言われており、いかにこの場所が重要であったかが分かる。次に生野銀山では明治に入り、フランス人技師が着任したことにより、採鉱の近代化が一気に進んだ様子を見ることができる。そして、甲社宅では活発な採鉱が行われていた明治・大正・昭和の住宅様式を見ることができる。最後に、かつて「東洋一」とうたわれた神子畑選鉱場跡では、操業が終了しすっかり衰退してしまった「今」を目の当たりにすることができるだろう。このように、様々な時代の産業や生活に触れることのできる場所は、滅多にないのではないかと思う。 

 第二に、栄枯盛衰を感じさせる点である。この点に関しては、今回2日間を通して、様々な場所を訪れたが、私はそれぞれの場所について歴史等の説明を受けながら、自然とその場所が最も賑わっていた時のことを想像しながら歩いていた。想像をすることで、現在では選鉱場の基礎しか残っていないこと、長く掘り進められた鉱山の僅か一部にしか立ち入ることができないことに、衰退の寂しさのようなものを感じながら、かつては確かに栄えていたのだということにロマンのようなものを感じた。特に生野銀山にて、ガイドの方が鉱脈を実際に見た時の実体験を語ってくれた際には、その活き活きとした語り口に、きっと閉山など想像もしないほどに栄えていたのだろうと、深く感じた。このような言葉に言い表しがたい魅力が、初めて訪れる観光客に強い印象を残すのではないかと思う。

 

●朝来市の観光についての提言

 次に先述した魅力を踏まえ、思いついたことを2つに分けて提言する。

 第一に、タイムトリップをテーマとしたバスツアー等が考えられるのではないかと考える。まず、タイムトリップをテーマとした理由は先述の一つ目の魅力が一番発揮されるのではないかと考えたためである。生野銀山を始めに、歴史が長い順に観光することで、それぞれの観光客の中で「朝来市」の物語が紡がれるのではないだろうか。更に、このツアーの中ではガイドの存在が重要な役割を担うと考える。何故なら、ガイドは先述の2つ目の魅力を伝えることができる存在であり、ガイドとの間に生まれるコミュニケーションが、「また訪れたい」と思える要素にもなり得ると思うからである。これらは、朝来市観光基本計画で挙げられていた町全体の魅力の創出にも繋がると考える。また、バスツアーとした理由について、朝来市へのアクセスの利便性は車を所有しているかどうかで変化するのではないかと感じたためである。実際に私は今回のフィールドワーク以前に、竹田城跡を訪れたいと考えていたことがあったが、電車で行こうと思うと4時間弱かかることが分かり、訪問を諦めたことがある。今回はバスで朝来市に向かったが、三宮から約2時間半と朝来市は遠いというイメージが払拭された。故に、バスツアーとすることで車を所有していない人々にも身近な印象を持ってもらえるのではないかと考える。

 第二に、生野銀山や神子畑選鉱場跡の認知度を上げるにあたって、銀の馬車道の通る市町村との連携だけでなく、他府県の鉱山を有する市町村との連携も有効ではないかと考えた。メンバー内で意見を交換した際、他府県にも様々な鉱山がある中で、どのように生野銀山・神子畑選鉱場跡の差別化を図るかという話が出ていた。そこで、他の鉱山についても調べてみたところ、東洋一の規模・生産高とうたわれていたという鉱山や、それに伴う選鉱場がいくつか見られた。しかし、選鉱場はいずれも廃墟になってはいても、それぞれの場所によって全く異なる情景を生み出していることを感じた。故に、差別化よりもまずは連携し、観光資源としての鉱山・選鉱場跡をPRすることで、相互に観光客を惹きつけることができるのではないかと考える。財源については、朝来市における三菱マテリアルのような、古くから鉱山に関係していた企業の協力を得られないかと考える。これにより、一部のお宝コンテンツを、竹田城跡に続くスターコンテンツにすることができるのではないかと考える。

 

●終わりに

 今回のフィールドワークでは、観光客としての目線と、この場所を売り出していく側としての目線を持って、朝来市の観光について考えることを意識していたが、沢山の魅力が詰まっていることが分かっても、どうすれば訪れるきっかけを生み出せるかを考えることが難しかった。また、今回は財源確保の方法がほとんど思い浮かばず、現実的ではない部分もあったように思うため、今後学んでいきたい。今回は朝来市が舞台であったが、日本全体での人口減少が予測される中、同じような課題を抱える地域は増加すると考えられる。今回学んだことや考えたことは、今後も持続可能な観光について考えるうえで活かしていきたい。

 


網 歩乃佳

国際教養大学

 

3月2日と3日の2日間、朝来市内でフィールドワークを行った。今回のフィールドワークでは、主に観光ガイドの方によるツアーを竹田城跡、神子畑選鉱所跡、生野銀山、生野中心街にて行い、朝来観光を観光客の目線から体験した。また、朝来市役所観光交流課の方にお時間をいただき、朝来市の現状やこれからの観光の展望についてもうかがうことが出来た。観光客として、また観光に来てもらう側としての双方の視点からの知見や気づきを、このレポートに記す。

 

●観光地としての朝来市の魅力

 朝来市でのフィールドワークを通して私が感じた印象は、朝来市は「あらゆる時代の跡が残った町」である。400年以上前に建てられた竹田城に始まり、500年強前から掘られ始め、昭和まで日本を支えた鉱山(銀山)など、近世から近代の幅広い時間軸の歴史をたった1つの市で学ぶことが可能である。また興味深い点としては、一見お城と銀山というと、歴史的(文化)遺産と産業遺産と分野が違うように思えるのだが朝来の遺産はすべて銀または鉱物に関連してできたものだという点である。もちろん竹田城跡、神子畑選鉱所跡・生野銀山それぞれに歴史的背景があり、それぞれ特有の景色を堪能することが出来るのだが、ガイドさんの話を聞くうちにストーリーがつながるという点が朝来市を訪れる魅力であると感じる。その上、季節によって体験できることが変わる点、食や宿泊をも銀(鉱物)にまつわるもので経験することが出来る点はまさに唯一無二だといえるかもしれない。まず、季節の変化を楽しむことができるのは朝来市の地形に関係している。竹田城は、山に“土で成った”城である。竹田城は別名「天空の城」と呼ばれる所以となる雲海が見られることで有名であり、主に寒暖差が激しくなる秋に雲海に浮かぶ竹田城を見ることが出来る。城の上には桜の木があったりするなど、自然多い朝来市ならではの季節による景色の変化を遺産とともに楽しむことが可能である。また、食・宿泊に関しては、生野銀山にまつわるものが体験できる。銀山で働く人がお昼に食べていたという地元の食材を使用した「オムハヤシ」を堪能できたり、夜には銀山で働いていた方が住んでいた、当時では最先端の物であふれていた「社宅」に宿泊することが出来たりするそうだ。日本の歴史をリアルな体験を通して知ることが出来る朝来での体験をより多くの人にしてほしいと願っている。

 

●これからの朝来活性化に向けて

 歴史をリアルな体験から学ぶという経験をより多くの人に体験してほしいという願いを実現するためには、まずは交流人口、いわゆる観光客の数を増加する必要があると考えている。現状、朝来市の人口及び朝来に来訪する人の数は減っており、さらに朝来市はその他の地域へ観光する際の通り道となってしまうという課題がある。また、朝来市として人口減少で生じる経済的損失を観光産業で埋めたいという展望があることから、観光価値を高めて観光客を増やすことが大切だ。そのために、どのような要素が必要なのか。また何をしなければならないのだろうか。

私がこのフィールドワークを通して感じたことは、朝来市・観光名所双方の認知度を高めること、地域の価値を高めるためにもまずは国内の観光に焦点を当てて朝来地域への接点を増やすべきだと考える。まず認知度を高めるためにSNSでの広告やハッシュタグはもちろんだが、口コミが有効だと考えている。日本では口コミの評価や身近な人からの口コミ影響されやすい人が多い。だからこそ、口コミを投稿してもらうための取り組みや、どのような口コミが朝来へ来るきっかけとなったのかを分析し朝来市の魅力の伝え方が認知度を高めるカギになるのではないか。産業や歴史を観光資源としている都市はたくさんある中で、なぜ朝来市を選んだのか。という点はとても疑問に感じた。また観光のターゲットにおいて。国内旅行者はもちろんだがインバウンドをとても意識する戦略になっているように読み取れた。短期的にも長期的にも来訪者を増やすためにも、国内旅行客に焦点を当てるのも重要であると考える。コロナ禍で近場や自然の多い場所を目的地とする人も多いことから、朝来市は関西各都市からの絶好の目的地になり得るのではないか。また、その土地の背景や歴史を深く知り楽しむことができるのはやはり国内の観光客であると感じる。だからこそ、生野銀山などの鉱山地域は特に日本の方に訪れてほしい。

 

●最後に

 今回朝来市を訪れてみて、自然豊かな町という印象から、幅広い歴史が秘められた町という新たな知見を得ることができた。様々な時間軸の歴史を、豊かな自然とともに実際の目で見ることが出来るこの朝来を、より多くの人に知ってもらいたい。そのためにも、まずは移住者・関係人口に先んじて交流人口(=観光客)を積極的に増やすために、朝来市と接点を持つ人が増えるような施策に期待したい。

 



吉川 由希

神戸学院大学

 

 3/2~3/3に朝来市の観光地や街並みを現地のガイドさんと共に訪れました。その中で私が感じたことを書いていきたいと思います。

 

 各地の観光地を巡り現地のガイドさんのお話を伺う中で、その当時生野銀山で働いていた記憶や市民目線で各地の話を伺ったときに特に心動くものがありました。一緒に訪れたメンバーたちからも似たような意見が出ていました。お話が人を惹きつけ、魅了するとこの体験を通じて学びました。一方で、当時の記憶を語れる人が高齢化に伴い減少しているという事実もありました。その為、ガイドの育成も行われているようです。当時の話を少しでも多く引き継いで語れる人を残すことの大切さをこの訪問を通じて非常に感じました。

 朝来に比較的近い地に住む私にとって、竹田城の雲海というのは身近にあるものです。よく友人たちやその家族と話す内容にも出てくることがあります。その中で、「雲海を見られなくともまた行けば良い。」と気軽に再度訪れるようという内容をよく耳にします。私の中でもその認識が大きくありました。しかし、遠方の観光客となるとそうとはいかないことを基礎自治体の職員さんのお話を伺い改めて実感しました。

 メンバーからの意見で非常に面白く共感したのが朝来市の観光地にはストーリー性があることです。ストーリーのスタート地点は人によって様々あり、登場する観光地も少しずつ違うそれがまた面白いと思いました。各観光地がストーリーでつながることによって、見方にも変化が生まれるように思います。例えば、銀の産出を目的にはるか昔、織田や豊臣の時代に朝来の地に目をつけ、できた竹田城から始まり、当時から実際に銀の採掘を行っていた生野銀山に続き、神子畑選鉱場跡。各地に歴史があり、つながりがある、それが魅力になると思いました。実際に観光に来た人がそこで興味を持ったこと(銀に着目したり、銀山や鉱山に従事した人に着目したり)から朝来の他の観光地への案内を紐づけする媒体があるとより多く朝来に興味を持ち、訪れてもらえると思いました。

 朝来市の各地を訪問する中で特に地域の人と人とのつながりが強いことを非常に感じました。訪問以前に、拝見した朝来市の総合計画においても地域コミュニティの充実という内容がありましたが、実際に現地のガイドさんのお話からよりその強さを感じました。近年、地域コミュニティの希薄化が言われる中、この街にとって特徴になる部分ではないかと私は思います。観光地にプラスアルファこの要素を足すことで一味違った観光が生まれるように思いました。地域の人と人のつながりの強さを生かした観光が何か作れたら非常に面白いと思います。

 


土岐 厚博

神戸学院大学

 

 私はこの2日間で竹田城や生野銀山、神子畑選鉱場跡など様々な場所をガイドしていただき貴重な体験をすることが出来ました。今回のレポートではそのなかでも特に竹田城について詳しく書いていこうと思います。

 私は今回初めて竹田城を訪れましたが、足を運ぶたびに学びがあったり違った景色をみることができる素晴らしい場所だと思いました。一度足を運んだだけでは竹田城の全てを理解するには時間が足りないのではと思いました。私は兵庫県に在住しており、竹田城の存在をよく新聞やテレビなどで耳にすることはありましたが訪れたことはありませんでした。

 竹田城の頂上にたどり着くまでの山道も絶えず景色が変わり、道路端には雪が少し残っていたりと普段目にすることの少ない情景に圧倒されていました。そうこうしているとあっという間にコンクリートで舗装された道路も姿を消し竹田城へと続く道が姿を現しました。

 ここからガイドさんに本格的に竹田城の歴史や石垣の特徴などを詳細に説明していただきました。ガイドを聞いていて初めて耳にする言葉も多く理解することに必死であったため、周囲の情景などをみている余裕があまりありませんでした。

 また、400年前の石垣がそのまま残っていることには改めて感動しましたし、こういった遺産を後世に伝え残していくことも大切だと考えました。それと同時に今回竹田城をガイドしていただいた方は80歳を越えておりガイドの高齢化も進んでいるのではないかと感じました。近年ガイド人材の不足も課題となっています。現在は私達の若い世代がガイドを聞いているだけですが、将来は私達の世代がガイドを行っていかないと後継者は絶たれてしまうのではないかと考えました。また、若い世代がガイドをすることで同世代への親しみやすさや感じるものも違ってくるのではないかと思いました。様々な地域が観光ガイドの若い後継者が不足していたり、観光客でも若い人間に来て欲しいといったことが多く、多くの自治体で若い人間が不足していることが分かります。そのため私たち世代が真剣に地域観光や地域ガイドについて考え最終的には実行することが必要になてくるのではないかと考えました。そうすることで必然的に若い人間が地域ガイドを学んだり、地域観光を盛り上げる土壌を作ることが出来るのではないかと思いました。若い人間が若い人間を呼び寄せる好循環やムーブメントを起こしていくことも大切だと考えました。世代交代は私達が考えているよりもそう遠くない未来に確実にやってくると感じました。

 最後に、このフィールドワークで案内をして頂いたガイドさんについて少し考えを述べたいと思います。案内をして頂いたガイドさんはコロナの影響もあり、しばらくガイドをしていなかったのでそういったことも考慮して山道などに簡易的な看板などを設置して観光客にみやすくする工夫も今後は取っていく措置を行っても良いのではないのかと思いました。自分のペースで聞くことが出来る音声ガイダンスなどもあればもっと良さそうだと感じました。もちろん景観の問題やそのほかにも様々な障壁があり導入には難易度が高いのかもしれませんが、改革もまだまだ出来るのではないかと考えました。

 



卜田 真輝

甲南大学

 

 三月二・三日、朝来市へ赴く運びとなった。初日は朝来市の観光課の方による朝来市の観光政策のレクチャーを受けたのち竹田城跡とその城下町を、二日目は、神子畑選鉱場跡(以下、神子畑)と生野銀山、生野の町をそれぞれ見学した。

 この度のフィールドワークで考えた事は二点ある。一点目は「観光物語の重要性」、二点目は「産業遺産活用の難しさ」である。本文ではこの二点を中心に活動内容を述べていく。

 

 まず一点目の「観光物語の重要性」について述べる。かつて朝来の地は銀をはじめとした鉱産資源の採掘すなわち「鉱業」が主要産業であった。どの見学地においても、「鉱業」の影響を何かしらの形で受けているように私は感じた。具体的には神子畑と生野銀山は鉱業の中心地である事は言うまでもない。竹田城跡は鉱産資源を巡って戦いが繰り広げられたという政治的事情の中心地であった。生野の市街は鉱業に従事した人々とその家族が生活するための社宅として建設された建物が現存している事、町の道路の配線が当時の鉱物輸送に適した配置に改められそれが現在でも生きている。以上の点から朝来の町は「鉱業」というキーワードが共通して影響を受けていると感じた。

 この「鉱業」とともに発展したという経緯をここでは「観光物語」と呼ぶことにするが、この「観光物語」をこの町を訪れた人々に向けて時に資料で、時にガイドさんの解説で、時に自分の体で伝えていく事が町の理解へと繋がり、町を好きになってもらう、再訪や多拠点居住へのきっかけになるのではないかと考える。

 しかし、「観光物語」は模倣されやすいという問題がある。「鉱業のまち」は、日本中に沢山あり、「鉱業のまち」を目玉として売り出す自治体が乱立してしまい、観光客獲得合戦に陥りかねない。人口減少社会となり、コロナ禍において外国人観光客が見込めない現状、それでは各自治体が疲弊するだけである。

 この問題を防ぐ為には他の「鉱業のまち」と連携して魅力をアピールしあう事が重要ではないかと考える。「朝来から他のまちへ、他のまちから朝来へ」という人の流れを作る事が出来れば、宿泊・お土産等経済効果を見出せるのではないか、と考える。

 以上の事から、「観光物語発信の重要性」を感じた。

 

 続いて二点目の「産業遺産活用の難しさ」について述べる。これは生野銀山と神子畑において感じた事である。文化遺産、今回でいえば生野・竹田の町は、人が生活するために作られたものであるから、あまり危険な箇所はない。しかし銀山や選鉱場といった工場施設ではそうはいかない。例えば神子畑は建築物に危険な箇所があり、通常は内部への立ち入りが禁止されている。これは操業停止後暫く放置されていた事が主な原因とされている。当時を思わせる模型やガイドさんの話を聞き想像力を膨らませ、「ここにはこういうものがあったのか」と過去に思いを馳せる事ができた。しかし、ただ眺めているだけ、想像するだけでは遺産への理解は深まらないであろうと考える。

 一方、同じ産業遺産の生野銀山は閉山後すぐ観光坑道として整備された部分の見学は認められている。実際に見て触れる事で具体的に遺産がどういった働きをしていたのか、内部では何が起こっていたのかという過去の様子や、坑道の特性を生かした酒やケーキの醸成といった現在・未来に向けた遺産活用の様子も見る事が出来た。

以上から同じ産業遺産でもその後の整備によって観光客が見学によって得る感情や未来への活用方法が異なってくると感じた。一方、過度な整備により過去の遺産の良さが失われることはあってはならないとも考える。

 

 以上二点がこの度のフィールドワークで学び取った事である。鉱山の衰退とともに町の元気も失われつつあるという課題に直面している町であるが、それでも朝来市観光課の皆様、ガイドをしていただいた皆様が、町にある誇れる遺産を人々に知ってもらい、町を好きになって欲しいという熱意が伝わってきた。今度はその熱意を周りの家族、友人に発信していく番である。また今回駆け足で回ってしまった箇所もあり、再訪し、朝来市の、銀の馬車道への理解を深めたい。

 


幸田 英龍

関西大学

 

 3月2日から3月3日の2日間、朝来市を訪れ、フィールドワークを行いました。このレポートでは、今回のフィールドワークの内容や、活動の中で生まれた私の気付き、そして朝来市への提言等を述べようと思います。

 まず、今回のフィールドワークを行う前の朝来市の印象は、正直に言うと「竹田城跡がある場所」でした。生野銀山は名前こそ聞いたことがあるけど、それ以上は何も知りませんでした(もちろん私の勉強不足でもあります)。恐らく私以外にも、朝来市に対してそのような印象を抱いている人は少なくないと思います。ですが、フィールドワーク後の朝来市の印象は「歴史情緒あふれる、魅力的な街」になりました。

 

 1日目に訪れた竹田城跡には、友達と一度訪れたことがありました。ですがその時は、雲海と城跡の綺麗な景色だけを見に行き、それを見て帰りました。今思うともったいないことをしたなと後悔しています。なぜなら、竹田城跡には写真に移る綺麗な景色だけではなく、室町時代から続く深い歴史があったからです。竹田城跡がどのようにして天守閣をなくしたのか、石垣はただ置いてあるだけではなく、誰が運び、なぜそのような配置なのか、など景色を見るだけではわからないようなことをフィールドワーク時にガイドの方が丁寧に、そして元気に教えてくれました。

 

 2日目は神子畑選鉱場跡、生野銀山、ムーセ旧居、生野のまちなか、朝来市旧生野鉱山職員宿舎を訪れました。それぞれの場所で、違うガイドの方にその場所の歴史等を詳しく教えていただきました。それぞれの場所のガイドの方々が、時間が来てもまだ話し足りないような雰囲気を持っていらっしゃったのがとても印象的でした。それはやはり少しの時間では語り尽くせないその場所の深い歴史があるからなんだろう、と私は勝手に感じとりました。

 

 2日間を通して私が感じたことは、生野の街、引いては朝来市は生野銀山を中心に成長、発展し深い歴史と共にひとつのストーリーになっているということです。竹田城が建てられたのも生野で銀が取れるという事実から、その場所に価値があるので建てられたと聞きました。神子畑選鉱場も生野銀山の支山として栄えた歴史があります。生野で銀をとるには人の力が必要だから、山奥のお寺に住んでいた人たちもお寺ごと街に出てきて、その名残りから今でも多くのお寺が残っていました。つまり生野銀山を中心に一つの社会が回っていたのだと、私は考えることが出来ました。

 

 以上のことから、私は「生野銀山を中心とした生野のまち物語」を一つのコンテンツとして宣伝していくことを提案させていただきます。一つの観光スポットを宣伝し、来てもらうというより、生野銀山から連鎖していく生野の街のストーリーそのものを宣伝することで、日帰りで限られた場所にしか行けなかった方にも「次はこの場所に行こう」と興味を持ってくださることが出来るのではないでしょうか。そして朝来市に何回も訪れる中で、もっと朝来市に貢献したい、朝来市に住みたい、という人が出てくる可能性もあると思います。加えて、その物語を朝来市のより多くの市民の方に知ってもらい、観光活性化に協力してくれる方が増えると、よりいいのではないでしょうか。そのためには、市の職員やガイドの方が地域の中学校や高校で講演会をするなど、若い人を取り入れることも重要だと考えられます。

 

 また、物語を伝えるガイドの養成をしていく必要もあると思います。今回のフィールドワークでは、ガイドの方々が丁寧に、かつ熱く説明してくださったことで、私も朝来市のことをより理解できました。なので、歴史を伝える人が途絶えないようにしていくことが大切だと私は感じました。

 最後に、今回のフィールドワークの経験から、朝来市の良さ、生野の街の魅力などをより多くの人に発信したいと思いました。また私自身、もっと朝来市の良さに触れたいので、また訪れようと思います。

 



平川 千夏

神戸女学院大学

 

 3月3日から4日にかけて朝来市を訪れ、フィールドワークを行いました。今回のフィールドワークでは、朝来市の観光施策について市役所の方と意見交流をした後、「天空の城」として知られる「竹田城跡」、日本有数の銀山であった「生野銀山」を訪れ、まち歩きも行いました。

 
●竹田城跡について

 「竹田城跡」と聞くと、平成26年に放映された大河ドラマ「軍士官兵衛」での、秀吉と官兵衛のシーンが想起されます。また、雲海が見られることでも知られており、雲海シーズンは早朝からの登山も受け付けています。実は、昨年11月ごろ(雲海シーズン)に竹田城跡に行こうと思っていました。しかし、車を持っていない私が竹田城跡に行ける手段は公共交通機関のみ。電車とバスで行く方法を調べてみると、およそ6時間かかることが判明し、断念しました。今回は、貸し切りバスで三宮から「山城の郷」(竹田城跡に最も近い休憩処)に向かったため、かかった時間はおよそ2時間。三宮と竹田城跡との間の距離は、自分が思っていたよりも近いということが分かりました。三宮と竹田城跡を結ぶ直行バスがあれば、私のような車を持っていない人でも竹田城跡に行きやすくなるのではないかと考えましたが、バスの運用面で厳しいとも感じています。竹田城跡からみた朝来のまちは非常に美しいため、オーバーツーリズムにならない程度に、少しでも多くの人に見てもらいたいと思っています。


●生野銀山について

 高校生の時に日本史の授業で習ったため、「生野銀山」という場所がある事は知っていましたが、朝来市に「生野銀山」があるということは初めて知りました。今回は、ガイドをしていただきながら、約1キロの坑道内コースを歩きました。「生野銀山」の歴史は古く、始まりは1000年以上前にさかのぼります。最初に銀が出たと伝えられているのは、807年。室町時代には、但馬を治めていた山名氏が銀の鉱脈を発見し、開坑したといわれています。その後銀山の所有者は、徳川、国、天皇、民間企業(三菱)へと移り、1973年に閉山しました。現在は観光施設として営業しており、1000年前の歴史を伝える遺産となっています。私の地元である九州にも生野銀山と似たような施設があり、小学生の頃に体験学習でそこを訪れたことがあります。私が小学生の学びに重要だと考えている要素は、実際に見て・触れるという「体験」を行うことです。今回、坑道を歩きながら採掘方法を学ぶ中で、「生野銀山」は「体験学習」に適した場所なのではないかと考えました。コロナ禍という状況で、コンパクトな修学旅行が求められる中で、「生野銀山」は修学旅行にも適した地なのではないかと考えます。

 


富盛 円香

神戸国際大学

 

朝来市での気づき 

 

 

 私は今回が初めてのフィールドワーク参加で、事前学習をしているときも、私がしっかり思ったことを伝えられるのかなど不安なこともたくさんありましたが、実際朝来市に足を運び、感じることがたくさんあって、勉強にもなり、本当に行ってよかったと感じでおります。

 

 朝来市に行った中で、一番印象に残ったのが竹田城を登ったことと、その街中を歩いたことです。竹田城に登る前に事前学習の際、朝来市は通り過ぎる観光客が多く、ステイする方が少ないとおっしゃっていました。それを心に置いて、1日目のフィールドワークの活動をしました。竹田城は登るまでにまずすごく体力が入りましたが、体が暖かくなってちょうどよかったです。頂上からの景色はすごくよかったし、私は歴史関係に詳しくないのですが、歴史にまつわる話を、ガイドさんがたくさんしてくださって、歴史が好きな人はとても興味深いものがあるだろうなと感じました。竹田城を下るときの山道も、急斜面で泥がぬかるんでいたのですごくしんどかったのですが、YDHのみんなと登山したような達成感を感じることができました。竹田の街中は綺麗で、古民家ホテルが印象に残りました。空き家を活用して古民家ホテルにするのは、観光にも地域振興にも役立つので凄くいいなと思いました。

 

 観光客が通り過ぎずに、ステイしてお金を朝来市に使ってくれるためにはと、私なりに考えた結果が、友達との旅行で朝来市に、前日の夜に入って、古民家ホテルに泊まり、朝方に雲海を見るため、竹田城に登るという最高の思い出作りが頭に思い浮かびました。

 



藤田 こころ

大阪成蹊大学

 

●はじめに

 私は 3 月 2 日から 3 日で朝来市に訪れた。朝来に訪れたのは2回目である。1回目は小 学校の自然学校だ。その時はキャンプが中心であり、朝来らしいことは竹田城を駅から見て 帰ったことしかしていなかったため、今回初めて朝来観光することが出来た。1泊2日の観 光案内は充実しており、歴史や産業についての見分を広まった。特に印象に残っているのが 竹田城跡と生野銀山見学だ。どちらとも人が生きた証として残ってることに感動したから だ。地元の人が管理、伝えてきたおかげで私達が実際に見ることが出来たのだ。今回のフィ ールドワークを通じて、朝来市への提言を述べていきたい。

 

●提言

 これからの朝来の観光を支えるにあたって必要になることは、「また来てもらえる街にす ることだ。」つまり、風の人(行き来する人)を増やし、関係人口を増やすことだ。勿論交流人口を増やし、新たに訪れる観光客数を増やすのも大切だ。しかし、私が朝来を訪れた時 に、この街は何回も来る人によって観光を支えられていると感じた。理由は2つある。

 1 つ目は朝来の観光は人がいないと成り立たないからだ。朝来市ではガイドの育成を進め ており、今回は観光地ごとにガイドがついてくれた。それぞれのガイドが持ち味を生かして 説明されている印象だ。ガイドの中には当時を知る人や、裏側を知っている人が多い。朝来 の観光資源はどれも魅力的だが、見る観光で終わっている印象だ。展示物や景色をみている だけでは観光客の印象に残らないし、リピーターが現れない。しかし、ガイドがいるだけで も見る以外にも、知る楽しさや交流する楽しさ等付加価値がついてくる。また街の人と交流 することによって、人に会いに行くという目的が新たに生まれる。

 朝来の観光資源にはそれぞれの物語が含んでいる。実際にただ見るだけと比べて、話を聞きながら観光するのとは魅力の伝わり方が違った。観光資源ごとに物語が含まれているか ら、ストーリーを伝える人が必要だ。だから、朝来の観光は人がいないと成り立たない。

 2 つ目は、何回も来てもらうことで、消費率を上げることが出来る。朝来が観光に力を入 れている理由の1つに市内で減った分の消費を観光客が補い経済を回す必要がある。複数 回の訪問と長期間の滞在は朝来市では公的宿泊に力を入れているため、初めての訪問の日 帰り旅行よりも消費額が増える。

 またインターネットや口コミの情報を参考に朝来を訪れる層(主にインバウンド客や若 い世代)が 1 回で十分と思ってしまうと、他の旅行客の関心が薄れてしまい、結果的に訪問 客が増えなくなる。また来たいと思わせることが出来たら、リピーターを増やすことが可能 だ。実際に旧生野鉱山職員宿舎・志村喬記念館ではタレントの方が複数回訪れている。そのため、何回も来てもらえる仕組み作りが大切だ。

 

●これからの展望

 来場客を増やしつつ、リピーターを生み出して行くにあたって取り組むべきことは、ガイ ドの育成、需要を高めることだ。今回多くのガイドの方に案内して頂いた。ガイドがつくことで、理解を深めることは勿論、人との新たな交流の場が生まれる。ガイドが増えることで、

 人を通じてストーリーを発信することが出来る。しかし、コロナ禍でガイドの需要が減っている。案内してくれたガイドの内コロナの影響でガイドをするのが久しぶりの方が何名か いた。加えて個人客だと、ガイドを希望する人が少ないだろう。個人でも気軽にガイドを予 約してもらえるように整備が必要だ。例を挙げると、オンラインでのガイドや 1 時間以内 のぷちガイドや予約なし等、旅行客のニーズに沿ったガイドはどうだろうか。

加えて、ガイド以外の地域の人々や他の旅行客と交流出来る施設やイベントもあると、よ り朝来の魅力や再訪問するキッカケ作りになるはずだ。

 

●まとめ

 朝来の観光資源の強みは、物語性があることだ。その観光地がどれだけの価値があるのか を紹介出来るのは看板ではなく人だ。他にも竹田城跡や銀山、街並みが残っているのは街の 住民が守って来たからだと教えて貰った。観光で人が生きた軌跡を伝えるのが朝来の役目 ではないだろうか?今回朝来に来たことで、他の観光では味わえない充実感があった。それ は、人々の朝来に対しての思いを知ることが出来たからだ。また朝来に来て、もっと色んな 話を知りたいと思えたフィールドワークだった。

 


白井 茉美

神戸学院大学

 

 3月2~3日の2日間、兵庫県朝来市にてフィールドワークを行った。初日は朝来市の観光施策についてのお話を伺い、その後竹田城跡や竹田のまちを見学した。2日目は神子畑選鉱場跡・生野銀山・生野のまちなみ・生野公社宅の見学を行った後に朝来市に関する意見の交換会を行った。

以下では、2日間にわたって朝来市を巡った中での発見を記す。

 

●朝来市に関して

 まず、私が朝来市に訪れたのは今回で2度目である。1度目に来訪した際は生野銀山をメインとした日帰りの家族旅行で、道の駅フレッシュあさご・生野銀山・神子畑鋳鉄橋・神子畑選鉱場跡というルートで市内を巡った。その2度の来訪を通して感じた朝来市の魅力は3点ある。それは、「交通の利便性が良い」、「歴史資源が豊富」、「自然豊か」という点である。朝来市の人口は年々減少しているのが現状であり、今後はその影響により市内消費額も減少することが予想されている。この問題と市の魅力を重ねて考えた際、私は「二拠点居住の場としてこのまちを選びたい」と感じた。コロナ禍により在宅ワークが増加したことやアフターコロナの新たな生活スタイルとしてセカンドハウスは注目を集めている。先ほど挙げた朝来市の3つの魅力は、二拠点生活を視野に入れている層を取り込むことのできる要素であると考えられる。そして「歴史資源の豊かさ」という魅力は、都市部とのアクセスが良く、自然豊かなまちが数多く存在する中で朝来市の特色を生かした強みであるとも思えた。

  多様な魅力が見られた一方で、疑問を感じた点もある。まずは、食や特産品の魅力が少ないことである。以前観光で訪れた際にも足を運ぶ必要性のある限定の食や特産物には出会わず、お土産も買うことはなかった。朝来市ならではの歴史資源と絡めた品など、特別感のあるSNS映えするようなものがあれば、食や特産品の面でも観光客・消費の増加があるのではないかと感じる。また、朝来市は日帰りの印象が強く、宿泊の印象が薄い。宿泊地としてSNS映えするような町家も存在しているが、その認知度はまだ低いようにも思えた。これらのことから、全体的に観光客の消費の場が少ないと感じたため、観光地近くに消費する場を増やすことが必要であると感がえられる。

 

●観光資源に関して

 まず、観光資源として竹田城跡を取り上げる。初めて足を運んだ時は、日本であるはずなのに違う国に来たかのような特別感で全身が満たされた。コロナ禍で海外へ行くことが難しい今、国内で海外に行ったような異国情緒を味わうことができるのは魅力的であり、それと同時に日本の歴史の面影を感じられるのは貴重である。そんな竹田城跡自体の認知度は高いが、それに対して朝来市に存在するということの認知度は非常に低い。今回竹田城跡に訪れたことを友人と話した際にも、竹田城跡の場所を知っている人は少なかった。そのことから、竹田城跡の情報を発信するとともに、朝来市自体もアピールしていく必要性があると考えられる。

 また、竹田城に訪れた人々のSNSの投稿を見ると、雲海を見られた観光客はリピート、見られなかった観光客はリベンジといったように、どちらもまた訪れたいという声が多かった。そしてリピーターは雲海シーズン以外でも石垣や季節の景色を堪能するなど、多様な楽しみ方をしている。一方で、雲海以外には興味を持っていない人々も多く見られ、人を選ぶ観光地であることを実感した。その層をつかむためには雲海だけではなく、ライトアップや御朱印、恋人の聖地として認定されていることを大々的に発信していくことも重要になってくるのではないかと考えた。

 次に、神子畑選鉱場跡を挙げる。自身がこの地を知ったきっかけは産業遺産の廃墟としてSNSに写真が投稿されているのを発見したことである。現在廃墟の需要は高く、SNSを通して多くの廃墟写真が投稿されている。撮影許可の下りる廃墟が少ないこと、そして現在の状態になるまでの記録が残された背景のある廃墟であることから、廃墟の中でも貴重性が高いと考えられる。また、個人の撮影だけでなく、ミュージックビデオやイベントの撮影スポットとしても活用できることは撮影というものの価値が高い現代において重要であり、さらに発信していくべきスポットであるとも考えた。

 

 今回のフィールドワークでは、日本人観光客としての視点を意識して朝来市の観光資源をめぐった。それによって、観光客が観光地に求めているものを発見し考察することができた。また、以前観光で訪れた際には市民の方とふれあう機会がなかったため、今回ガイドの方に案内してもらったことは非常に良い経験となった。地元の方々の朝来市に対する想いに直に触れ、歴史や文化をおもてなしするまちづくりを全身で感じたこのまちにまた訪れ、以前にはなかった視点から朝来市を見たい。

 

 



今村 康佑

関西学院大学

 

生野を訪れて感じた観光価値

 

 朝来市の各地を訪問したフィールドワークの最後に、YDHの皆で意見交換を行った。「もう一度友だちと訪れたい場所を一か所挙げるなら?」という問いに対し、私の答えは生野だった。それに加えて、インバウンドの復活がなかなか見込めない今日だからこそ、観光価値を感じた生野に関して述べる。

 前提として、私なりの観光価値の定義として「その地の前提やその時代の住民になったような気分になれること」がある。さらに、その地にまた訪れたくなる動機が生まれ、周辺地域への関心が深まれば、持続可能な観光や交流人口の拡大、その延長線上には関係人口の拡大も期待できると考える。生野には、以下の三点の可能性を感じた。

 第一に、歴史的な時代にタイムスリップしたような体感ができる点である。生野の鉱山は観光用に整備されているとはいえ、1キロという鉱山のほんの一部を歩いただけで、かつての時代にタイムスリップしたような感覚を味わうことが出来た。ボランティアガイドの方は実際に鉱山で働かれていた実体験があり、臨場感溢れるお話で私たちをワクワクさせてくださった。平和ツーリズムで私が訪れた鹿児島県鹿屋市、兵庫県加西市でもボランティアガイドの方が親切に解説をしてくださったが、戦争や鉱山などの歴史的な出来事や産業を実際に体感している人はもう多くない。だからこそ“今”観光として訪れる価値を生野に強く感じる。

 第二に、産業の恵みと生野のまちの繋がりを感じられる点である。生野の鉱山ではフランスによる技術の輸入が必要であったこともあり、生野のまちには和と洋の景観が混在している。複数のお寺が並ぶ通りのすぐ横には立派な洋館が残るなど、山に囲まれた地域では少し異様な感覚さえ感じた。インバウンドが難しい今、私たちは観光を通じて世界を楽しむ機会が減少している。生野のまちには、日本の伝統的な景観を楽しみながら、海外旅行をしたかのような新鮮な感覚も得られる。若者からすれば、私たちの祖父や曾祖父にあたる人々が、国境を越えてこの生野というまちで繋がっていたということを感じられる点に、観光としての価値を感じる。また、生野の伝統的な産業による恵みが今日の生野のまちを創った点から、時代を超えた歴史と今日の繋がりを強く感じられる点も魅力である。

 第三に、一度訪問したらまた訪れたいと感じられる点である。朝来市の観光基本計画にはSWOT分析が掲載されており、弱みのひとつに特産品がないことが明記されていた。フィールドワーク前にこの事実を知った際は、観光において重要な存在である特産品がないことには、朝来市の観光はかなり厳しいのではと感じてしまった。しかし、フィールドワークを終えて感じたのは、まさに「その地の住民」になったような感覚と「また訪れたい」という純粋な気持ちだった。ボランティアガイドの方のお話に、生野の鉱山での産業は人どうしの結託が欠かせなかったことから村八分が極めて少なかった、とあった。その名残なのか、生野の人々は今日も温かみがあり、たった数時間の滞在しかしていない私たちを歓迎してくださっている気がした。また、鉱山を通じて繋がっていた兵庫県養父市や、今日も銅の精錬を行っている香川県の直島のお話等、ガイドの方々のお話のなかには、生野の周辺地域の紹介も多くされていた。さらに生野では鉱山で働く人々のための社寮が多く残り、古民家の宿泊体験という体験型の観光価値がある。特産品がなくても、こういった観光価値は生野をまた訪れる動機へとつながり、交流人口や関係人口の拡大を導くことが出来ると考える。

 以上、私がフィールドワークを通じて感じた生野の価値である。最後に、こうして私たちを迎えて下さった朝来市の皆様に感謝したい。

 

 


 

岡島 智宏

神戸大学

 

 3月2日、3日の2日間、兵庫県朝来市にてフィールドワークを行った。ここでの学びを本レポートにまとめていきたい。なお、2日に竹田城跡周辺、3日に生野・神子畑を訪ねたが、ここでは順序を変えて述べる。

 

1,神子畑地区と生野地区について

 生野銀山と神子畑選鉱場は、日本のかつての産業の歴史を支えた、重要な場所だ。今までの歴史があってこそ今があると言うならば、これらの場所が「今」に大きな影響を与えていることになるが、現場の実態がイメージできなければ、その重要性は感じにくいだろう。日本に鉱山が減ってから生きている世代の日本人にとって、鉱山は遠い存在であり、そのような若い世代を神子畑や生野に集客するのは難しいと考えていた。

 しかし、神子畑や生野の優れた点は、選鉱場跡や「一円電車」、銀山が現存するだけでなく、ムーセ旧居、旧生野鉱山職員宿舎や生野鉱山町の町並み、ハヤシライスといった、鉱業を支えた労働者の暮らしの跡が目に見える形で残っており、そして詳しく解説してくださるガイドの方がいらっしゃることで、その語りを聞きながら、選鉱場や銀山の「現場」の実態とそこの人々の暮らしがリアリティを伴ってイメージできる点だ。そのようなイメージの下で初めて、「この場所とここにいた人々が、有名ではないけれど、歴史と産業を支えていたことで、今に至る」「これが日本の近現代の源流なのか」という印象が強くなり、労働者の作業や暮らしがありありとイメージでき、鉱業の歴史への理解が深まり、興味深く感じた。

 銀山や選鉱場の跡をただ眺めるだけでは、ただの遺構に見飽きるだけだが、このフィールドワークのように、労働と暮らしのストーリーに沿って、ガイドの話に耳を傾けながら巡れば、とても面白い歴史の勉強になり、ロマンを感じることもできる。このような観光プランがあれば、若い世代を含めて多くの人にとって、生野や神子畑は面白い場所になると感じた。修学旅行など、歴史学習目的の旅行目的地としてもポテンシャルがあるのではないだろうか。欲を言えば、周辺自治体にまたがるが、日本遺産「播但貫く、銀の馬車道 鉱石の道」に沿って遺産を巡り、労働者の作業と暮らしに加えて、鉱産物の移動のストーリーを採掘から姫路に出るまでたどれば、さらに面白そうだ。特に、神子畑選鉱場跡は明延鉱山と切り離しては語れないため、明延の採掘の現場を見たうえで神子畑に来れば、鉱物の移動がよりイメージしやすくなる。

 

2,竹田城跡の可能性について

 私は以前にも竹田城跡を訪ねたことがある。そのときは夏の晴れた日で、青空と豊かな緑、光に照らされる石垣によって明るい印象だった。今回は、まだ一部の木々は冬の装いで、空はどんより曇っていた。しかし、荒涼な雰囲気の竹田城跡もまた、とても魅力的に見えた。竹田城跡は、雲海がなくとも魅力的で、朝・昼・夜、または春・夏・秋・冬といったように時間や季節を変えて訪ねると違った雰囲気の風景が見えてくる。「インスタ映え」というPRでは、1回訪ねて、写真を撮影するという目的を果たせばそこで終わりだが、写真に収めたい風景があるという利点は生かし、「時を変えて繰り返し訪ね、その時々の風景を楽しむ場所」としてリピーターを定着させれば、定期的に、安定的に集客できる場になるのではと考えた。

 しかし、竹田城跡に登ることだけを目的にしてはリピーターの数は限定されるため、「次はこうやって楽しもう」と思える、竹田城を含めた巡り方、過ごし方の選択肢を複数提示するのが好ましいと考える。例えば、竹田地域の中では、観光ガイドの案内を聞きながら、風景を見つつ城の造りや歴史を学ぶ楽しみ方、また、竹田城下の古くからの建築を活用した城下町ホテルに滞在しながら、古い建築美を楽しみつつ、竹田の朝・昼・夜をのんびり過ごす過ごし方が考えられる。あるいは、多くの観光地を抱える但馬の交通の結節点(和田山)が近いという地の利を生かして、但馬全体での周遊ルートを複数提案する。複数のルートがあることで、竹田城とともに旅する場所を毎回変更して但馬を楽しむことが可能だ。

 竹田城の課題は、いかに観光滞在時間と消費を増やすかであると考える。ここまでに述べてきた巡り方・過ごし方のうち、確実に効果があるのはホテル滞在だけかもしれない。特に、但馬全体で複数の広域周遊ルートを設ける方法は、複数回但馬に来て、竹田城を訪ねるきっかけにはなるが、竹田城が単なる経由地にとどまり、1回の滞在時間・消費増にはつながらないリスクもある。また、他の観光地に滞在時間や消費が偏る可能性もある。しかし、交通の結節点という立地を考えれば、立ち寄り需要は捨てがたくもある。竹田城に限らず、周遊の中に組み込まれた立ち寄る場所であっても、長く滞在し、消費してもらう工夫を考えることが、私が観光政策を学ぶ上での今後の課題であると感じた。

 




橋爪 正彦

関西学院大学 

 

●はじめに

 兵庫県朝来市にてフィールドワークが2日間にわたって開催された。まず初めに市役所職員から観光地の現状、SWOT分析の視点に基づいた課題などを共有し、質問交換を行った。その後竹田城跡、神子畑選鉱場跡、生野銀山を観光し、ガイドの話を聞きながらその土地の歴史や背景などを学んだ。

 今回のレポートは一日の記録を時系列順に並べ、一つずつ掘り下げるのではなく、主に竹田城跡について中心に述べたい。何故なら私は過去に竹田城跡に深く関わった経験があるからだ。私的な話ではあるが、およそ4年前に私の大学が提供している「朝来・竹田城下町活性化プロジェクト」に参画した。そのプロジェクトでは朝来市にある観光資源を活用した旅行ツアーを企画し、学生目線で地域経済の発展の在り方を模索した。そうした経験から過去に学んだことと今回のフィールドワークで得た気づきを俯瞰的に捉えた上で、竹田城跡について考察したい。

 

●竹田城跡という観光資源について

 竹田城跡は朝来市の観光資源の中でも最有力候補の一つである。朝来市の「観光ニーズ調査(GPA調査)におけるポートフォリオ分析」によると竹田城跡はスターコンテンツとして唯一位置づけられている。したがって竹田城跡は朝来市の観光に大きく影響を及ぼすコンテンツと考えられる。前述したが私は4年前に竹田城跡に足を運んだことがあり、偶然にも雲海という自然現象を目にした。雲海が見えた時はまさしく絶景であり、このために竹田城跡を見に行く価値が十二分あると言える。また竹田城跡のパンフレットや旅行ツアーの冊子では雲海が見えるときものを載せていることが多く、改めて観光資源としての期待の高さが伺えた。しかし市役所職員の話を聞くと竹田城跡の観光入込客数が年々と減少していることが分かった。最盛期とされている平成26年は58万2千人の人が来たが、令和2年では10万2千人しか来ておらず、83%減少している。最盛期はブームによる影響があり、一時期は竹田城跡の石垣の一部が崩れるなどオーバーツーリズムが発生するほど盛況だった。しかしブームが過ぎ去ると同時に観光客も年々と減少し、追い打ちかけるようにコロナ禍によって更に観光客が減ってしまった。地域経済を活性化する方法として朝来市は観光に注力しているが、厳しい状況は依然と続いている。


●観光と地域活性化について

 そもそも朝来市は何故、観光資源を活用して地域経済を活性化させようとしているのかを改めて考察したい。フィールドワークで聞いた話によれば、朝来市は市の人口減少による地域経済の衰退化を深刻な課題と捉えている。そこで既存の観光資源を活用し観光地の質を高めることで、交流人口の拡大と経済循環活動の促進を目指している。最終的には観光地としての広域的なまちづくりを推進し、そこで得られた恩恵を市民に還元することが狙いである。

 私はこの話を聞いて大きな誤解を持っていたことに気づいた。それは「観光地としてのあるべき姿」である。4年前にプロジェクトに参画した時は、朝来市は単に観光の魅力を更に引き出し、竹田城跡を城崎温泉と匹敵するぐらい選ばれるような観光地になりたいと私は捉えていた。しかし実態としてはそうではなく、あくまで朝来市が観光に力を入れるのは、経済の衰退を食い止めるための一つの手段に過ぎないことが分かった。

 こうした誤解を持ったことを気づいたと同時に、私は観光における地域活性化に確実性はあるのかという疑問が浮かび上がった。ここで断っておきたいのだが、私はマーケティングの専門家でもなければ観光学を専攻してもない、ただの門外漢である。見当違いかもしれないが、純粋な疑問とそれに対する自分の考察を述べたい。

 さて、観光における地域活性化の確実性に対する疑問についてだが、観光は地域活性化する方法としては論が成り立つと私は考えている。しかし不確実性があることは否めないと捉えている。何故、不確実性があるかというと観光はいつでもできるとは限らないからだ。コロナ禍を例に挙げると観光そのものがストップし、そのため観光地は多大なダメージを負ったと私は感じている。特にインバウンド観光に期待した自治体や観光業界に影響を及ぼした。地域にとってプラスになると期待し多額の投資をした結果、マイナスになってしまった。そして観光は常にできるとは限らないことが自明になった。したがって私は地域活性化の一つの方法として観光に大きな期待を寄せるのは危険性があり、あくまでも観光は補助的なものとして捉える方が安全なのではないかと考えた。

 


 

藤川 紗綺

神戸大学

 

 3月2日から3日にかけて、兵庫県朝来市を訪問した。今回のフィールドワークは朝来市の観光計画について学んだうえで、朝来市における観光の魅力や課題を日本の大学生の目線で考え、感じることのできた大変貴重なものであった。このレポートでは、最も考えさせられるものの多かった竹田城に関することを中心に述べていくこととする。

 

 竹田城では、ガイドさんの案内のもと、様々な歴史を学びながら、たいへんきれいな景色や素晴らしい城跡を見ることができた。竹田城跡は有名な観光名所であり、条件が良い時には雲海を見ることができる「天空の城」として知られている。雲海を見られる観光スポットは日本の中でもそれほど多くなく、朝来市の観光における最大の強みとなっていると考えられる。城好きであった私は事前に情報共有された動画で、竹田城からの壮大な景色や城跡の様子を見て、興味がわき、見てみたいという思いのもとフィールドワークへの参加を決めたが、実際に訪れてみると、写真や動画で見るのとは違った表情を持つ竹田城に圧倒された。また、自分の足で登った達成感や、その間の仲間との会話の楽しさを味わうこともできた。竹田城から下る道は来た道とは違う登山道のような道だった。その道は険しく、このような道と、登ってきた方の整備された道の二つの経路があるということを以前の私は知らなかったため、すごく驚いた。しかし、その経験が意外性や達成感を伴って、フィールドワークが終わった後も印象深く記憶に刻まれている。ただきれいな景色を見て写真を撮るだけでなく、険しい道の先にある達成感まで味わうことができる点は、まだまだ知られていない魅力なのではないかと思い、特に学生やアウトドア好きへのアピールポイントとなるのではないかと感じた。

 

 しかし、この経験からは学んだのは魅力だけではなく、課題も存在した。認知度、興味・関心度がともに高いスターコンテンツであることは朝来市の観光計画を学んだ際にも強みとして述べられていたが、日本の中に「天空の城」として売り出されている観光スポットがほかにも多数あることから、他地域の人々が竹田にまで足を運ぶことがまだ少ないのではないかと考えた。実際、九州出身の私は、天空の城と聞いた際に真っ先に思い出したのが、大分県竹田市にある岡城址、通称「豊後竹田城」であり、フィールドワーク以前は、朝来市にある竹田城については何となく聞いたことはあるがほとんど知らない状態であった。インターネットで検索してみると、竹田城とよく似た山城跡や景色を持つ名所が各地にあり、一見見分けがつかない写真も見受けられた。また、朝来市の職員の方の話によると、近隣地域からの客が多いという。これらのことから、やはり、この観光のターゲットは近隣住民になるのではないかと感じた。しかし、朝来市の人口、観光客が減少してきている現在、近隣地域以外にもアピールすることも重要であるだろう。そのため、どのようにアピールし、朝来市の竹田城を差別化、ブランド化するかが重要になると考える。

 

 ターゲットとなる観光客に関しては、ほかにも考えるべきことがある。私は、以前のフィールドワークにおいて口コミの重要さを学んだ。そこで、口コミやインターネットの活用に強い若者を呼び込むことは不可欠であると考える。しかし、今回私たちは、交通手段としてバスが用意されており、簡単に訪れることができたが、車を持たない、免許を持っていない場合に、時間、費用が思いのほかかかってしまう電車を使ってまで訪れるかといった点で課題が残る。また、高齢者の場合にも、竹田城まで登ることが容易ではないという点や、運転が難しくなった場合などに課題があると感じた。そこで、主なターゲットとなるのは若者を含むファミリー層になってくるのではないかと考える。ファミリー層をターゲットとするメリットとして、宿泊客を得やすいということがあげられると考える。家族旅行では、数日かけて観光することが比較的多いだろう。その際に、朝来に宿泊してもらえれば費用をよりかけてもらえる。翌朝竹田城に登ればまた違った表情を見せてくれる、運が良ければ雲海も見ることができ、朝日が上る様子など絶景を見ることが出来ることを宿泊することの売りにできる。

 

 また、朝来の宿泊費は比較的安く、他の地域との結び付きも強いため、費用を抑えながらも、姫路や城崎などの観光と組み合わせたり、家族連れならば子供に人気のありそうな、生野銀山との組み合わせで観光を楽しんだりすることができる。

 今回は2日間かけて、竹田城と生野を中心にその周辺と併せての観光を行ったが、共に参加したメンバーとの後日話した際に、竹田城と生野はセットで売り出すべきかが話題になった。これら2つは地理的に少し離れている、わかりやすい接点が少ない、どちらもひとつの観光名所として確立しているといったことから、セットで売り出す必要はないのではないかという意見が多かった。どちらも見所の多い、学びある場所であったが、確かにセットで売り出すメリットは少ないかもしれない。そこで、それぞれを十分にアピールし、朝来へのリピーターを確保するためにもう一方を利用するのがよいと考える。

 

 この2日間の経験は、観光の未来を考える私たちにとって大変有意義なものであり、かつ、純粋に観光を楽しむこともできた。考えたこと、感じたことはこのほかにも多く存在する。そのことを含め、朝来の魅力を参加できなかったメンバーや家族、周囲の友人などに共有し、更に自身の考えを深めていきたい。