赤穂市フィールドワーク

2022.9.5~6


ふれる伝統の町、赤穂から未来へはせる思い

菅野 有紗

 

 今回のフィールドワークでの、赤穂段通をはせる体験や塩作り体験などを通し、赤穂市では、繊細で真心のこもった伝統や歴史に触れることが出来ると感じた。SNSの普及により、写真やグルメを目当てとした観光も増えているが、赤穂市では、若者同士の観光客はもちろん、多くの子供や外国人観光客にも訪れてもらい、学びのある観光を体験していただきたい。また、訪れた人々が伝統を未来へ繋ぐことが次なる課題である。

  

 

●赤穂の塩について

 

 塩作り体験では、鍋の中のかん水がだんだんと煮詰まっていく様子や混ぜる感触が変わっていく様子を観察でき、童心に帰って楽しむことができた。完成した塩は持ち帰ることができ、私たちは、自作の塩で握った塩むすびを夕食でいただいた。作って終わりではなく、実際に食べることで、より記憶に鮮明に残る。翌日は、赤穂市立歴史博物館を訪れ、赤穂の塩づくりの歴史を学んだ。前日の体験があったからこそ、より歴史の深さを知り、かつての人々の生活を尊敬することができた。一連の体験は、子供たちにとって食育となる。複数の工程を経て塩を得る赤穂の塩づくりは、外国では岩塩で塩分を得ていたのに対し、忍耐強さや正確さが重要であり、日本人らしさが際立つ仕事のように感じた。

 

 

●赤穂段通について

 

 私自身、今回のフィールドワークで最も注目していたのは、赤穂段通である。赤穂段通については、参加する以前は全く知識がなかった。地元での認知度も低いのが現状である。

 赤穂段通の魅力は、明瞭な輪郭をもつ、美しく繊細な模様だけでなく、製作者の真心である。伝統的な模様として、剣や牡丹の花などのめでたいものがモチーフとなっており、ここには、迎え入れるお客様に対するおもてなしの念が込められている。また、赤穂段通の周りは縁取られており、家の財産を守るという意味も込められている。これらの細やかな気遣いとおもてなしの精神は、大変日本的であり、私達日本人が誇るべき伝統である。

 また、私達が訪れた弥生工房にてお話しを伺った根来さんは、「私なりのSDGs」を心がけた段通作りをされていた。赤穂段通をはせる際に使う綿や、染める際に使うものはすべて天然の赤穂産のものを使い、地産地消を心がけていらした。その中で、「赤ちゃんを寝かしても安心安全な赤穂段通」というキーワードが最も心に残った。赤穂段通は、一つ一つが手作りであり、長い月日をかけて作られるため、工場で大量生産される敷物と同じような価格での販売はできない高価なものである。しかし、高価だからと言って鑑賞するためだけのものでとどめてしまうのはもったいないと感じた。今後、赤穂段通を世に広めていくにあたって、「赤穂段通は美しい」だけではなく、その手触りや作り手の精神といった、一歩先の魅力まで伝えていくことが重要だと思う。

 

 

●赤穂段通を広めるための提案

 

 写真は、坂越を訪れた際に立ち寄った、くつろぎの縁側 優・優という場所である。観光客や地元の方の憩いの場として作られた場所だ。実際に足を運んでみて、海の見える開放的な景色と昔ながらの古民家の温かさが感じられる癒しの空間は、赤穂に訪れた人がまた来たいと思えるような、どこか懐かしさを感じさせてくれる空間である。日常を忘れ、ゆったりとした時間を過ごすことができた。

 この体験から、訪れる人々の安らぎの空間をより豊かにすると同時に、赤穂段通を広めるために、赤穂段通を置いた憩いの場を設けることを思いついた。また、赤穂段通の価値について、根来さんは以下のようにおっしゃっていた。「例えば、100万円の段通があるとして、1年間に1万円、それが100年間、あるいはそれ以上の年月にわたり継承され、家宝となると考えたらどうだろう」。私はこの考え方が、とても素敵だと思い、そこから「訪れる人みんなの家宝となる段通」という考え方もできるのではないかと思った。例えば、赤穂段通を置いた場所の入館料をいただくが、それをただの入館料と考えるのではなく、みんなで守る家宝のためのお金と考えられたら素敵である。さらに、伝統的な赤穂段通に触れるとともに、形に残る思い出として、現代に合わせて変容した赤穂段通の土産物を用意するのはどうだろうか。弥生工房にて、現在、伝統の継承を担っている廣津さんは、赤穂段通をもとに、スマートフォンケースやイヤリングを作成している。このように、日常生活の中に赤穂段通を取り入れることは、訪れた人々に形としての思い出を残す。また、私たちは、無意識のうちに、相手の持ち物や身に着けているものから会話を発展させている為、他愛もない会話の中で、「これ赤穂で買ったんだ」などと会話の話題に上がることで、次なる観光客に繋ぐきっかけとなることも期待できる。赤穂ではせられた段通が、人々を介して広く伝承されていくことを願っている。