豊岡市フィールドワーク

2023.11.23~24


出石(ここ)にしかないもの

卜田 真輝/甲南大学

 

本稿では、豊岡フィールドワーク(以下、FW)、特に出石地区で感じた事について、述べていく。

 

 

 

 

①生きたまち、出石


1点目は、出石は生きた景観保存地区であるという事だ。出石地区は、重要伝統的建造物群保存地区(以下、景観保存地区)に指定されている。「景観保存地区」というと、車の出入りが制限され、観光客向けの土産物屋が立ち並ぶ光景をイメージする。しかし、観光地として整備された町の中には、その地域の人々の暮らしが入っておらず、どこか冷たい印象を受ける。言ってしまえば、「死んだ町」とでもいえようか。


しかし、出石を散策していると真逆の光景が広がっている事に気づく。例えば、昔ながらの建物が並ぶ道路にも車通りがあること。現在も営業されている、昔ながらの商店があること。そこに今も人々の営みがあるという事だ。先述した「死んだ町」と反対に、「生きた町」と言えよう。


「生きた町」の例で挙げたような特徴は、観光地としては褒められたものではないかもしれない。しかし、今も続く人々の営みがあれば、昔の出石の人々はどのように生活をしていたのか、という想像も掻き立てられる。また、生きた町である故に触れる人とのつながりも多くあると思う。

こうした「生きた町」であるからこそ、その町にしかないものを感じ、土地を味わって帰る事ができるのではないか、と考える。

 

 

 

 

〇ストーリー型観光の始発点


2点目は、出石そばの歴史についてだ。出石そばは、小皿に盛られたそばを何枚も食べるスタイルの郷土料理である。

この地にそばがもたらされたのは、江戸時代まで遡る。この時代は活発に「国替え」が行われており、出石城主も信州の大名に交代することになった。その際、そば職人も引き連れてやってきたことが、始まりだという。


出石そば躍進のきっかけは、時代が進んだ1970年代の事である。出石に観光客を誘致しようとした際に、出石のそば文化が脚光を浴びる事になる。従来から続いてきたそば文化に目を付け、新たな観光の目玉として発信する取組が行われた。結果、取組前は数軒しかなかったそば店は、今や50軒ほどが点在し、重要な観光資源になっている。

 

「新たな観光資源の開発」というと、新たな観光施設を建設する、ご当地グルメを開発するといった事が想像される。しかし、出石そばはその逆で、それまで存在していた文化を活かし、「古いけど、新しい観光コンテンツ」として発信に成功している。また、「お国替えにより信州からもたらされた」という物語が、城下町観光ともリンクし、何度も耳にしてきた「観光資源をストーリーで繋ぐ」事が、50年も前から行われていた事に驚いた。

 

こうした伝統的な食文化は日本各地にあると同時に、埋もれているものも沢山あると思う。それらを掘り起こし、「古いけど、新しい観光コンテンツ」として発信されれば、日本はもっと面白くなる、と考える。

 

 

 

〇地域を活性化させるために

 

3点目は、人々の郷土への想いについてである。ガイドさんによると、出石城の再建資金の多くは出石の人々からの寄付で賄われたとのことだ。また、芝居小屋「永楽館」の復活に向けた取組にも多くの町の人々が尽力されたとの事である。

私は、地域活性化の取組を行うにあたり、一番大切な事は「地域の方々の理解」であると考える。どんなにその地域の為に行う取組でも、その地域の人々の理解や協力が無ければ失敗に終わってしまうだろう。


しかし、出石には「ふるさとを盛り上げるために協力したい」という気持ちを持った方が多くいらっしゃったからこそ、こうした取組が可能になったのだと感じた。

また、本FWでは「コウノトリの里公園」にも訪問した。その際コウノトリ復活に向けた農家の取組、「コウノトリはぐくむ農法」についての説明を受けた。農家にとっては手間とコストがかかる取組であるが、現在多くの農家がこの農法に取り組んでおられるとのことであった。ここにもやはり「コウノトリのために」「豊岡のために」、という意識を持った農家の方が多くいらっしゃるからであろう。

地域活性化の根底にはやはり、地元の人々の熱意が必要であると痛感させられた。

 

〇まとめ


本稿では、豊岡FW、特に出石地区の見学を通して感じたことについて述べてきた。

出石には、「ふるさとの為に協力したい」という意識を持った方々が多くいらっしゃったからこそ、現在の姿があると感じた。またその観光コンテンツにも、「出石にしかないもの」、すなわち「出石という場所の特性」が活かされており、「出石」という土地の魅力を上手く発信する事ができていると感じる。

「ここにしかないもの」を追い求める。これが兵庫の、日本の町に求められていることなのかもしれない。